撰集抄 ====== 巻2第8話(16) 迎西上人(成通卿被仕事) ====== ===== 校訂本文 ===== 過ぎにしころ、侍従大納言成通卿((藤原成通))、東山に住み給ひけるころ、いづくの者とも知らぬ法師の来て、「この殿に宮仕へ侍らん」と言ひければ、大納言、聞き給ひて、「いと思はずのことかな。法師は僧の下にこそ侍るべけれ。何とてこれには、『宮仕へし侍らん』と言ふにやあらん。ただし、さてもあれかし」とて、その殿に召しつかはれ侍りけり。 あさましく、心ばへいみじくて、よろづにつけて正直に侍りければ、その内の人、「聖庵((諸本「聖房」))」とぞ名づけにける。するわざもなかりけれど、心ざまのなつかしくて、殿にも、いみじくいとほしきものに思され奉りて、着るものなども、さはやかに与へ給へば、二三日は肩にかけたんめれど、のちには跡なく失ひけり。 かくすること、たびたびになり侍れば、人あやしみて、「女などをかたらひたるにや」、「さも侍れ。けしからず」、また、「その心をも見えざめり」など、わづらはしきまで沙汰しあひ侍り。 大納言、このことをもれ聞き給ひて、また、「着るものなんど賜はす」とて、「いかに、かくは跡なくなしはつるぞ。このたびは、あらかじめ失ふべからず」とよくよく仰せ含め給へりければ、この僧も、かしこまりて取り持ちけり。 そののち、人々、目を付けて見侍れば、この僧、すきをうかがひて、門より外ざまへ走り行くを、見がくれに見侍りければ、法勝寺のほとりに、ことに寒くかはゆげなる乞食に((底本「に」なし。諸本により補う。))着物を脱ぎくれて、わが身はただ袷(あはせ)なるものばかり着て、帰りにけり。この見あらはせる人、目もめづらかに、心驚きて、急ぎ大納言にこのよしを聞こえてけり。 そののち、「よしある人に((底本「人々」。諸本により訂正。))こそ」とて、日ごろにも似ず、殿も重く思し、人ももてなし聞こえければ、世にも本意なげに思ひたりけるが、二三日ありて、かき消すやうに失せてけり。殿よりはじめて、みな人々、忍びあひ給へりけれど、つひに見え給はで、やみにけり。 この僧、失せてのち、二十日ばかり経て、大納言、歌詠みの内に撰ばれ給ひて、冷泉中納言俊忠((藤原俊忠))と申す人になんあはせられて、「いかがして名歌詠みて、君の御感にあづかり侍らん」と思して、このことのみを歎き給ひけるに、ある日の暮れに、ありし僧来て、「君のわづらひ給へる歌、思ひよりてこそ侍れ」とて、   水の面に降る白雪のかたもなく消えやしなまし人のつらさに   うらむなよ影見えかたの夕月夜(ゆふづくよ)おぼろげならぬ雲間待つ身を と詠みて、逃げ去り給ひけるを、袖を引き留めて、「誰人にてかおはすらん。この日ごろの情けに、たしかにのたまはせよ」と侍りければ、「泊瀬山(はつせやま)の迎西」とてなん、ふりほどき出で給ひにけり。そののちは、ふつと見え給はで、やみ侍りけり。 ひとかたならねど((「ねど」は底本「ぬと」。諸本により訂正。))、いづれもみな、「名をば埋づまじ」とのみこそ思ひあひ給ふめるに、わざと名を沈めて、いさぎよきまことの心を隠して、思はざる所にいたりて奴(つぶね)となり、得る所の着るものを、忍びやかにわび人に施され侍りけん、うらやましきにはあらずや。「捨てん」と思へど、生ける身はさすがなるに、やつれはてけん心こそ、思へばかしこく侍れ。 詠み給へる歌は、大納言の歌とて、『金葉和歌集』に載れるほどに侍れば、なかなかともかくも申すに及び侍らず。なほなほ、やさしく澄みわたりてぞ思え侍り。また、慈悲のそのこととなく深くいまそかりけむ、いみじく身に入りて貴くぞ侍る。 げにも、しづかに案ずれば、生きとし生けるもの、蟻(あり)・螻蛄(けら)のたぐひまで、思ひ放つべきものにはあらざりけり。われらも、多百千劫のあひだ、鳥獣と生まれて、秋の田のおどろかすなる山田守、玄賓僧都の引板(ひた)の声に驚くむら雀にても((底本「まても」。諸本により訂正。))侍りけん。おのが羽風に鳴子(なるこ)鳴らして、心とさわぐ鳥、刈田の面に魚を拾ふ旅雁としては、越路の空にも帰りけん。魚となりて、いくたびか人の味をもましけん。駒に生まれては、重きを負ひて、九重の雲にいななき、牛となりては、浮世の車をかかりて、歎き居れる時も多かりけん。 さては、かれらも余所のものにあらず。みな等しく心を具し((「具し」は底本「奥し」。諸本により訂正。))侍り。これまた、しかしながら、世々を経て、思ひをあらはし、心を尽し、秋風に名残を惜しみし人なり。さもあらず、恩潤深き主君、あるいは哀願はなはだしき父母にてもありけん。しかあれば、かれら、心にもてはなれんは、いみじく愚かのことにこそ侍らめ。 あらかじめ、人をそばむるわざなく、畜類をあはれと見そなはし給はば、釈迦大師の恩恩徳、やうやく報じ奉る心なるべし。生をへだつるとて、いかなることやらん。みな人の、この理(ことはり)知りながら、心には思はぬぞとよ。 こひ願はくは、三世の仏たち、この所うちつづき人をそばむる心を破りて、心に思へど知らぬぞかし。こひ願はくは、まことの浄慮を、あまねく施し給へな。 悲しきかな、たまたま人界に生れ侍る時、いかにも勤めはもの憂くて、はせ過ぎて、思ひと思ふことは、ことごとく流来生死の業をきざし、積み集めて、昔の五戒十善の種のゆくへなく、なし果てぬることを、悔ひてもかひなし。まことには、悔ひざめり。 衆罪は草露のごとくにして、慧日は、これを消やすこと早し。慧日といへる、すなはち、外に求むべからず。わが心これなり。慧日の心、品々なるにあらず。ただ道念の一門なり。されば、道心を発(おこ)さば、無始より積み集めおける罪の、さながらみな消えて、本有常住の月を胸の中に澄まさんこと、さらに遠きにあらず。本覚の月、澄むならば、立つ波・吹く風、みな妙なる御法にて侍るなるべし。 さて、迎西上人は、つひに長谷寺にて終りぬと承はり侍るは、迷ひ帰り給ひけるにこそ。なほなほ、心中やる方なく、貴く思えて、聞くにそのこととなく、涙のもれ出で侍りき。 今また、書き述ぶるも、涙の墨に落ちそひて、思ふばかりも書かれず侍れば、いとどつたなき筆の跡ふしをも、そばむるわざなくて、草がくれ、亡きあとまでも、そしりをばわれにな残しそと、思えて侍り。 ===== 翻刻 ===== 過し比侍従大納言成通卿東山に住給けるころ いつくの者ともしらぬ法師の来て此殿に宮仕へ 侍らんと云けれは大納言聞給ていと思はすの事かな 法師は僧の下にこそ侍るへけれ何とて是には宮仕 し侍らんと云にやあらん但さてもあれかしとて其/k52r 殿に召仕れ侍りけり浅ましく心はへいみしくて万 に付て正直に侍りけれは其内の人聖庵とそ名付 にけるするわさもなかりけれと心さまのなつかしくて 殿にもいみしくいとおしきものにおほされ奉てきる物 なともさはやかに与へ給へは二三日は肩に懸たんめれと 後には無跡失けりかくする事度々に成侍れは 人あやしみて女なとをかたらひたるにやさも侍れ けしからす又其心をもみえさめりなと煩しきまて 沙汰し合侍り大納言此事をもれ聞給て又きる物 なんとたまはすとていかにかくは無跡なしはつるそ此/k52l 度はあらかしめ不可失とよくよく仰含め給へりけれは 此僧も畏て取持けり其後人々目を付て見侍れは 此僧隙を伺て門より外さまへ走行を見かくれに 見侍りけれは法勝寺の辺に殊寒くかはゆけなる 乞食き物をぬきくれて我が身はたた合せなる物 はかりきて帰にけり此見あらはせる人目もめつらかに 心驚て急き大納言に此よしを聞てけり其後 よしある人々こそとて日比にも似ず殿も重く おほし人ももてなし聞えけれはよにもほいなけに思 たりけるか二三日ありてかきけすやうにうせて/k53r けり殿より始て皆人々忍び合給へりけれとつゐ に見え給はてやみにけり此僧うせて後廿日はかり へて大納言哥読の内に撰はれ給て冷泉中納言 俊忠と申人になん合られていかかして名哥読 て君の御感に預り侍らんとおほしてこの事のみ を歎給けるに或日の暮にありし僧来て君の 煩給へる哥思寄てこそ侍れとて 水のおもにふるしら雪のかたもなく きえやしなまし人のつらさに うらむなよかけみえかたの夕月夜/k53l おほろけならぬ雲ままつ身を と読てにけさり給ひけるを袖を引留て誰人 にてかおはすらん此日此の情に慥にの給はせよと侍 りけれは泊瀬山の迎西とてなんふりほとき出給に けり其後はふつと見え給はて止み侍りけり一方 ならぬと何もみな名をはうつましとのみこそ思ひ あひ給ふめるにわさと名をしつめていさきよき実の 心を隠て思はさる所にいたりてつふねとなり得る 所のきる物を忍ひやかにわひ人にほとこされ侍りけん うらやましきには非すやすてんとおもへと生る身は/k54r さすかなるにやつれはてけん心こそ思へはかしこく侍れ 読給へる哥は大納言の哥とて金葉和歌集に のれるほとに侍れは中々ともかくも申に及ひ 侍らすなをなをやさしくすみ渡りてそ思え侍 又慈悲の其事となく深くいまそかりけむいみし く身に入て貴くそ侍るけにも閑に案れはいき としいける物ありけらの類まて思放へき物には あらさりけり我等も多百千劫の間鳥獣と生れて 秋の田のおとろかすなる山田守玄賓僧都のひた の声に驚むらすすめまても侍りけんをのか羽風/k54l になるこならして心とさはく鳥かり田の面に魚 をひろふ旅鳫としては越路の空にもかへりけん魚 と成ていくたひか人の味をもましけん駒に生て はおもきをおひて九重の雲にいななき牛と成ては 浮世の車をかかりてなけきおれる時もおほかり けんさてはかれらも余所のものに非すみなひとし く心を奥し侍り是又併世々をへて思を顕し 心を尽し秋風に名残をおしみし人なりさも あらす恩潤深き主君或は哀願はなはたしき父 母にても有けんしかあれはかれら心にもてはなれんは/k55r いみしくをろかの事にこそ侍らめあらかしめ人をそ はむるわさなく畜類を哀と見そなはし給はは 尺迦大師の恩恩徳やうやく報し奉る心なるへし 生をへたつるとていかなる事やらん皆人の此理知 なから心にはおもはぬそとよ乞願は三世の仏達此所 うちつつき人をそはむる心をやふりて心に思へとしらぬ そかし乞願は実の浄慮を普くほとこし給へな 悲哉適人界に生れ侍る時いかにも勤は物憂てはせ 過て思とおもふ事は悉く流来生死の業をきさし つみ集て昔の五戒十善の種のゆくゑなくなし/k55l 果ぬる事を悔ても甲斐なし実にはくひさめり衆 罪は草露のことくにして恵日は是をきやす事はや し恵日といへる則外に不可求我心是也恵日の心品々 なるに非すたた道念の一門也されは道心を発さは 無始よりつみ集をける罪のさなから皆消て本有 常住の月を胸の中にすまさん事更に遠きに あらす本覚の月すむならは立浪吹風みな妙なる 御法にて侍るなるへしさて迎西上人は終に長谷寺 にて終ぬと承侍るは迷ひかへり給けるにこそなをなを 心中やる方なく貴く覚て聞に其事となく/k56r 泪のもれ出侍りき今又書述も涙のすみに落副て おもふはかりもかかれす侍れはいととつたなき筆の跡 ふしをもそはむるわさなくて草かくれ無跡まても そしりをは我にな残しそと覚て侍り/k56l