撰集抄 ====== 巻2第2話(10) 青蓮院真誉法眼 ====== ===== 校訂本文 ===== 過ぎにしころ、筑前国へさそらへまかりて侍りしに、人の語り侍りしは、「中ごろ、この国の三笠の郡小野の里といふ所の山の中に、いづくの者ともなくて住みわたる僧あり。いたく思ひ下すべき品(しな)とは見えずながら、あさましくやつれ侍りて、髪・髭なんどもそ剃りあげずして、つたなきさましたるありけり。およそ、物なども多くは食はず。ただ、いつとなくうちしめり、時々念仏しなんどしても、涙を眼に浮べてのみ侍り。狩・漁(すなどり)し、網引きなんどするを見ては、けしからず泣きもだへて、『あひかまへて念仏し給へ』となん言ひて、山の中に入りて座せりしが、この所に一年(ひととせ)ばかり住みて、そののち、里へも出でざんめれば、『すでに身まかりけるにこそ』と。人々あはれにて、ある時、かの庵にたづねまかりたるに、その身は見え侍らで、かたはらなる板に、数々にものを書きたり。 見侍れば、 >昔は天台山の禅徒として三千の貫首に至らんことを思ひ、今は小野の山中に住みて弥陀の来迎にあづからんことを願ふ。 >  世の中はうきふししげきくれ竹のなど色かへてみどりなるらん >   久寿二年三月九日 青蓮院法眼真誉 と書かれ侍り。 また、同じ手して、はるかに山の奥なる木をけづりて書き付けける >  心からくらはし山の世をわたり問はんともせず法(のり)の道をば と書かれて、見えず侍りきとて、今の世まで、恋ひ悲しみ((底本「悲し」なし。諸本により補入。))あひ侍り。都までもさる人や聞き及び侍る。手跡のいみじくて、一文字・二文字づつ、みな分かち取り侍き」と語り伝へ侍りしに、そぞろに涙のせきかねて、袂をはやみに落ち侍りしは、「陸奥国(みちのくに)の衣河とはこれならん」と思えて侍りき。 この青蓮院真誉法眼と申すは、鳥羽院((鳥羽天皇))の第八の宮、伏見大夫俊綱((橘俊綱))の御娘、藤つぼの女御の御腹の御子にていまそかりき。女御、はかなくならせ給しかば、「かの御菩提のために」とて、七つの御歳、山へのぼせ参らせられけり。智行めでたくて、世の末にはありがたきほどに聞こえさせ給へりしが、法眼までならせ給ひて、十八と申しけるに、長月の中の十日ごろになん、いづちともなく失せさせ給へりき。 このよし、山より奏せしかば、法皇ことに歎きおぼしめされて、詔(みことのり)をあまねく国に下されて、「たづね奉るべし」と侍りしかども、かひなくて、鳥羽院もかくれさせ奉るに侍り。 あさましや、さは、これまで流浪していまそかりけることよ。御齢(よはひ)二十(はたち)に及び給はぬほどなれば、御心の中、よろづいぶせく思ひやられて侍り。かての乏(とも)しく、御身の苦しきことのみこそ、わたらせ給ひけめ。何とて、げに、筑紫までさそらへおはしましけるにや。御足もかけ疲れてぞ侍りけんと、かへすがへすあはれに侍り。 憂き世の中を、いつもみどりに色もかはらずなげき、心とくらはし山にたどり侍りて、法(のり)の道をばありとも知らぬわざの憂さを、書きとめさせ給ふ、げにやるかたなく、澄みておぼえ侍り。物なども、多くはきこし召さずして、悪を作る者をあはれみ、涙を流し、念仏を勧めさせ給へりけん、分くかたなく貴く侍り。 つらつら思へば、「またげにも、たまたま悪趣のちまたを離れて、かたじけなくも人界に生まれ、釈迦の遺教にあくまであへる時、心をはげまして、生死の海を浮び出づるはかりごとを廻らさん道には、かやうに心を持たでは、浮びがたくや侍らん」と、くり返し貴く侍り。「あはれ、三世の諸仏の、かの青蓮院の御心を、十が一の心ばせを付け給はせよかし」とまで思ひやられて、そぞろに涙のこぼれぬるぞとよ。 さても、なほ御命の消えやらで、天の下にながらへていまそかりもやすらん、今はまた、浄土にもや生れ給ひにけん。こひ願はくは、いまだ草の戸さしはて給はぬ御事ならば、必ずたづね会ひ奉らん。もし、むなしき御名のみを残す御ことにしあるものならば、一浄土の供(とも)と思して、あはれみをたれさせ給へとなり。若宮にて山にのぼられ給へりしには、御供つかまつりて侍りしぞかし。 ===== 翻刻 ===== 過にし比筑前国へさそらへ罷て侍りしに人の語 侍りしは中比此国のみかさの郡をのの里と云所の 山の中に何の物とも無てすみ渡る僧有いたく思/k36r 下へきしなとは見えすなから浅増くやつれ侍りて かみひけなんともそりもあけすしてつたなきさまし たるありけり凡物なともおほくはくはすたたいつと なく打しめり時々念仏しなんとしても涙を 眼に浮てのみ侍り狩すなとりし網引なんとするを 見てはけしからすなきもたへて相構て念仏し 給へとなん云て山の中に入て座せりしか此所に一 とせはかり住て其後里へも出さんめれは已に身 まかりけるにこそと人々あはれにて或時彼い ほりに尋まかりたるに其身は見え侍らてかたはら/k36l なる板に数々に物を書たり見侍れは 昔は天台山の禅徒として三千の貫首に 至らん事を思ひ今は小野の山中に住て弥陀の 来迎に預らん事を願ふ 世の中はうきふししけきくれ竹の なといろかへてみとりなるらん 久寿二年三月九日 青蓮院法眼真誉 とかかれ侍り又同手して遥に山の奥なる木 をけすりて書つけける 心からくらはし山の世をわたり/k37r とはんともせすのりのみちをは とかかれて見えす侍きとて今の世まて恋みあひ 侍り都まてもさる人やきき及侍る手跡のいみし くて一文字二文字つつみなわかち取侍きと語 伝へ侍りしにそそろに泪のせきかねて袂をはやみに 落侍りしはみちの国の衣河とは是ならんと覚えて 侍りき此青蓮院真誉法眼と申は鳥羽院の第八 の宮伏見大夫俊綱の御娘藤つほの女御の御腹 の御子にていまそかりき女御はかなくならせ給しかは 彼御菩提の為にとて七の御歳山へのほせ参らせ/k37l られけり智行目出て世の末には難有程に聞 させ給へりしか法眼まてならせ給て十八と申ける に長月の中の十日比になんいつちともなく失させ 給へりき此由山より奏せしかは法皇殊歎思召れ て御ことのりを普く国に下されて尋奉るへしと 侍りしかともかひなくて鳥羽院もかくれさせ奉るに 侍りあさましやさは是まて流浪していまそかり ける事よ御齢はたちに及給はぬほとなれは御心の 中よろついふせく思ひやられて侍りかてのともし く御身の苦きことのみこそ渡らせ給ひけめ何とて/k38r けに筑紫まてさそらへおはしましけるにや御足も かけつかれてそ侍りけんと返々哀に侍り憂世 の中をいつもみとりに色もかはらすなけき心とくら はし山にたとり侍りてのりの道をはありとも知ぬ わさのうさをかきとめさせ給ふけにやるかたなくす みておほえ侍り物なとも多はきこしめさすして 悪をつくるものを哀み泪をなかし念仏をすすめさせ給 へりけんわくかたなく貴侍りつらつら思へは 又けにも適悪趣のちまたを離て忝も人界に 生れ釈迦の遺教にあくまてあへる時心をはけま/k38l して生死海をうかひ出るはかり事を廻らさん道 にはか様に心をもたてはうかひかたくや侍らんとくり 返し貴く侍り哀三世の諸仏の彼青蓮院の 御心を十か一の心はせを付給はせよかしと迄思ひ やられてそそろに涙のこほれぬるそとよさても なを御命のきえやらて天の下になからへていまそ かりもやすらん今は又浄土にもや生れ給にけん 乞願はいまた草の戸さしはて給はぬ御事ならは必 尋合奉らん若空き御名のみを残御事にし ある物ならは一浄土のともとおほして哀みをたれ/k39r させ給へと也若宮にて山にのほられ給へりしには 御とも仕て侍りしそかし/k39l