撰集抄 ====== 巻1第7話(7) 新院御墓 ====== ===== 校訂本文 ===== 過ぎにし仁安のころ、西国はるばる修行つかまつり侍りしついで、讃州水尾坂((底本「みゝ坂」。諸本「みを坂」にしたがい、現在の地名をあてる。))の社といふころに、しばらく住み侍りき。 太山辺の楢(なら)の葉にて庵結びて、妻木こりたく山中の気色、花の梢に弱る風、誰問へとてか呼子鳥、よもぎのもとの鶉(うづら)、日終(ひねもす)にあはれならずといふことなし。長松のあか月、さびたる猿の声を聞くに、そぞろにはらわたを断ち侍りける。すみかは浮世のためとも侍らねども、心ぞそぞろに澄みて思ゆるにこそ。 かくても侍るべかりしに、「浮世の中には思ひをとどめじ」と思ひ侍りしかば、「立ち離れなん」とし侍りしに、「新院((崇徳天皇))の御墓、拝み奉らん」とて、白峰といふ所にたづね参り侍りしに、松の一むらしげれるほとりに、くぎぬきし回したる。「これなん御墓にや」と、今さらかきくらされて、ものも思えず。まのあたり見奉りしことぞかし。 清涼・紫宸のあひだにやすみし給ひて、百官にいつかれさせ給ひ、後宮・後房のうてなには、三千の翡翠のかんざしあざやかにて、御まなじりにかからんとのみしあはせ給しぞかし。万機の政を、掌のにぎらせ給ふのみにあらず、春は花の宴をもつぱらにし、秋は月の前の興尽きせず侍りき。 あに思ひきや、今かかるべしとは。かけてもはかりきや、他国辺土の山中の、おどろの下に朽ちさせ給ふべしとは。貝・鐘の声もせず、法華三昧つとむる僧、一人もなき所に、ただ峰の松風のはげしきのみにて、鳥だにかけえぬありさま見奉りしに、そぞろに涙を落し侍りき。 「始めあるものは終りあり」とは聞き侍りしかども、いまだかかるためしをは承はり侍らず。されば、思ひをとむまじきはこの世なり。一天の君、万乗の主(あるじ)も、しかのごとく、苦しみを離れましまし侍らねば、刹利(せつり)・首陀(しゆだ)かはらず、宮も藁屋もはてしなきものなれば、高位も願はしきにあらず。われらもいくたびか、かの国王ともなりけんなれども、隔生良忘して、すべて覚え((底本「おほく」。諸本により訂正。))侍らず。ただ行きて止まり果つべき、仏果円満の位のみぞ、ゆかしく侍る。 とにもかくにも、思ひつづくるままに、涙の漏れ出で侍りしかば、   よしや君昔の玉の床とてもかからんのちは何にかはせん とうちながめられて侍りき。盛衰は今に始めぬわざなれども、ことさら心驚かれぬるに侍り。 さても、過ぎぬる保元の初めの年、秋七月のころほひ、鳥羽の法皇((鳥羽天皇))、はかなくならせ給ひしかば、一天叢雲(むらくも)迷ひて、花の京(みやこ)、くれふたがり侍りて、含識のたぐひ、うつつ心も侍らず。歎き、身の上にのみ積りぬる心地どもにておはしましし中に、わづかに十日のうちに、主上((後白河天皇))・上皇((崇徳上皇))の御国あらそひありて、上を下に返し、天を響かし、地を動かすまで、乱れ戦ひ侍りて、夕べに及びて、大炊殿に火かかりて黒煙覆ひしに、御方は軍(いくさ)勝ちに乗り、新院の御方、軍敗れて、上皇・宇治の左府((藤原頼長))、御馬に召して、いづくともなく落ちさせ給ひしを、兵(つはもの)追ひかけ奉りて、いささかも恐れ奉らず、率(ゐ)参らせ侍りしを見奉りしに、「よしなき都に出でて」と、かへすがへす心憂く侍り。 さて、後にこそ承りしが、「新院はある山の中より求め出で奉りて、仁和寺へ移らせ給ふ。宇治左府は、矢に当らせ給ひて、御命絶えさせ給ぬ」とは。「奈良の京、般若野の五三昧に土葬し奉りけるを、勅使立ちて、屍骸実検のために掘りおこし奉りける」と承はりしに、あはれ、むつかしき世の中かな。 誰か知らざる、浮世はかかるべしとは。ことに、あやうくはかなき身をもて、したり顔にのみ侍りて、むなしく明け暮れ過ぎて、無常の鬼に取らるる時、声をあげて叫べども、かなはずして、悪趣にのみ巡り侍らんは、いとど悲しかるべし。 盛衰もなく、無常も離れ侍らん世なりとも、仏の位、めでたしと聞き奉らば、などか願はざるべき。いはんや、盛衰、はなはだしきをや。無常すみやかなるをや。ただ心をしづめて、往事を思ひ給へ、少しも夢にや変り侍ると。悦も歎も、盛も衰も、みな偽りの前のかまへなるべし。 ===== 翻刻 ===== 過にし仁安のころ西国はるはる修行仕侍りし次讃 州みみ坂の社と云所にしはらくすみ侍りき 太山辺のならの葉にていほりむすひて妻木こりたく 山中の気色花の梢に弱る風たれとへとてかよふこ 鳥よもきのもとのうつら日終にあはれならすと云事 なし長松のあか月さひたるさるのこゑを聞にそそろに はらわたを断侍りける栖は後世の為とも侍らねとも 心そそそろにすみておほゆるにこそかくても侍るへかり しに浮世中には思をととめしと思侍りしかは立離/k20l なんとし侍りしに新院の御墓おかみ奉らんとて白 峰と云所に尋参り侍りしに松の一村茂れる辺に くきぬきしまはしたる是なん御墓にやと今更かき くらされて物も覚えすまのあたり見奉りし事そかし 清冷紫宸の間にやすみし給て百官にいつかれさせ 給後宮後房のうてなには三千の翡翠のかんさし あさやかにて御まなしりにかからんとのみしあはせ給しそ かし万機の政を掌のにきらせ給ふのみにあらす春は 花の宴を専にし秋は月の前の興つきせす侍りき あに思ひきや今かかるへしとはかけてもはかりきや他国辺/k21r 土の山中のおとろの下に朽させ給ふへしとは貝鐘の 声もせす法花三昧つとむる僧一人もなき所にたた峰 の松風のはけしきのみにて鳥たにかけえぬ有さま見奉 りしにそそろに泪を落し侍りき始ある物はおはりあり とは聞侍りしか共いまたかかるためしをは承侍らすされは 思をとむましきは此世也一天の君万乗のあるしもしかの ことく苦みを離ましまし侍らねはせつりしゆたかはらす宮 もわらやもはてしなき物なれは高位もねかはしきに あらす我等もいくたひか彼国王とも成けんなれとも隔生 良忘して都おほく侍らす唯行てとまりはつへき/k21l 仏果円満の位のみそゆかしく侍るとにもかくにもおもひ つつくるままに泪のもれ出侍りしかは よしや君昔の玉のゆかとてもかからん後は何にかはせん と打なかめられて侍りき盛衰は今に始ぬわさなれ とも殊更心驚れぬるに侍りさても過ぬる保元の初 の年秋七月のころをい鳥羽の法皇はかなくなら せ給しかは一天むら雲迷て花のみやこくれふたかり 侍りて含識のたくひうつつ心も侍らす歎身の上に のみつもりぬる心ちともにておはしましし中に 僅に十日のうちに主上上皇の御国あらそひありて/k22r 上を下にかへし天をひひかし地をうこかすまて乱れたた かひ侍りて夕へに及て大炊殿に火かかりて黒烟お をひしに御方は軍勝に乗新院の御方軍破て 上皇宇治の左府御馬に召ていつくともなく落させ 給ひしを兵者追懸奉ていささかも恐奉らすいまいらせ 侍りしを見奉しに無由都に出てと返々心憂侍りさて 後にこそ承しか新院はある山の中より求出奉て仁 和寺へうつらせ給宇治左府は矢に当らせ給ひて 御命絶させ給ぬとは奈良の京般若野の五三昧に 土葬し奉りけるを勅使立て死かい実検の為/k22l に掘おこし奉けると承はりしに哀六借世中かな 誰か不知る浮世はかかるへしとはことにあやうくはかなき 身をもてしたりかほにのみ侍りて空しく明暮過て 無常の鬼にとらるる時声をあけてさけへとも不 叶して悪趣にのみ巡り侍らんはいととかなしかるへし 盛衰もなく無常も離侍らん世なりとも仏のくらゐ 目出しと聞奉らはなとかねかはさるへき況や盛 衰はなはたしきをや無常すみやかなるをやたた心を しつめて往事を思給へすこしも夢にやかはり侍ると 悦も歎も盛も衰もみないつはりの前の構なるへし/k23r