無名抄 ====== 第76話 諸浪名 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 諸浪名 ** 波の名はあまたあり。範綱入道がいひけるとて、人の語りしは、「『おなみ』『さなみ』『ささらなみ』『はうのてかへし』『はまならし』といふ、みなこれ波の名なり」といひけれど、いかなるをしかいふと、分きてはいはざりけり。これは、その国のその所にとりていふことにて侍るにや。歌などは、いとも見及び侍らず。 顕昭に問ひ侍りしかば、「『さなみ』『さざなみ』『ささらなみ』といふことあり。これはみな小さき波の名なり。言葉の広略なれば、時に従ひて用ゐるなり」と申し侍りしを、筑紫のしまとといふ所に通ふ者の、ことのついでに語り侍りしは、「筑紫にとりて南の方(かた)、大隅、薩摩のほど、いづれの国とかや忘れたり。大きなる港侍り。そこには、四月・五月には明け暮れ波立ちて、静まる間もなし。四月に立つをば『うなみ』といひ、五月にたつをは『さなみ』となん申し侍る」と言ひき。う月・さ月といふゆゑにや。いと興(けふ)あることなり。 ===== 翻刻 ===== 諸浪名 なみの名はあまたありのりつな入道かいひけるとて 人のかたりしはおなみさなみささらなみはうのてか へしはまならしといふみなこれなみの名也と いひけれといかなるをしかいふとわきてはいはさり けりこれはその国のその所にとりていふことに て侍にや哥なとはいともみをよひ侍らす 顕昭にとひ侍しかはさなみささなみささら なみといふことありこれはみなちゐさきなみの/e78r 名也ことはの広略なれは時にしたかひて もちゐるなりと申侍しをつくしのしまとと いふ所にかよふ物のことのつゐてにかたり侍しは つくしにとりてみなみのかたおほすみさつまの ほといつれの国とかやわすれたりおほきなるみな と侍りそこには四月五月にはあけくれ 波たちてしつまるまもなし四月にたつ をはうなみといひ五月にたつをはさなみとなん 申侍といひきう月さ月といふゆへにやいとけ ふあること也/e78l