無名抄 ====== 第75話 仮名筆 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 仮名筆 ** 古人いはく、「仮名(かな)に物書くことは、歌の序は古今の仮名の序を本(もと)とす。日記は大鏡のことざまを習ふ。和歌の詞(ことば)は伊勢物語、並びに後撰の歌の詞をまねぶ。物語は源氏に過ぎたる物はなし。みなこれらを思はへて書くべきなり。いづれもいづれも、かまへて真名(まな)の言葉を書かじとするなり。心の及ぶ限りは、いかにもやはらげ書きて、力なき所は真名((底本「かな」とあり「か」に「ま歟」と傍書がある。諸本に従い訂正する。))にて書く。それにとりて、撥(は)ねたる文字、入声(にっしょう)の文字の書きにくきなどをば捨てて書くなり。((底本ここで改行))万葉には、新羅を『しら』と書けり。((底本ここで改行))古今の序には喜撰を『きせ』と書く。これら、みなその証なり。詞の飾りを求めて対を好むべからず。僅(わづ)かに寄り来るところばかりを書くなり。対をしげく書きつれば、真名に似て、仮名の本意(ほい)にはあらず。これは悪(わろ)き時の事なり。かの古今の序に、『花に鳴く鶯、水に棲む蛙(かはづ)』などやうに、えさらぬ所ばかりをおのづから色へたるがめでたきなり。詞のついでといふは、『菅の根の長き夜』とも、『こゆるぎの急ぎて』とも、『石(いそ)の上(かみ)古りぬる』などいふやうなることを、あるいは古きを取り、あるいはめづらしく((底本「めつたしく」。諸本により訂正))、巧みなるやうに取りなすべし」。 勝命いはく、「仮名に物書くことは、清輔いみじき上手なり。『花のもとには花の客人(まらうど)来たり。柿のもとに柿本(かきのもと)の影(えい)をかけたり』とあるほどなど、ことに見ゆ。仮名の対はかやうに書くべきぞ」。 ===== 翻刻 ===== 仮名筆 古人云かなに物かくことは哥の序は古今のかなの 序を本とす日記はおほかかみのことさまをならふ 和歌のことはは伊勢物かたりならひに後撰の 哥のことはをまねふ物かたりは源氏にすきたる 物はなしみなこれらをおもはへてかくへきなり いつれもいつれもかまへてまなの詞をかかしとするなり 心のおよふかきりはいかにもやはらけかきてちから/e76l なき所はか(ま歟)なにてかくそれにとりてはねたる もし入声の文字のかきにくきなとをはすてて かくなり 万葉には新羅をしらとかけり 古今の序には喜撰をきせとかくこれら みなその証也ことはのかさりをもとめて対を このむへからすわつかによりくるところはかりを かくなり対をしけくかきつれは真名ににて 仮名のほいにはあらすこれはわろき時の事なり かの古今の序に花になくうくひす水にすむ/e77r かはつなとやうにゑさらぬ所はかりをおのつから いろへたるかめてたき也ことはのついてといふは すかのねのなかきよともこゆるきのいそき てともいそのかみふりぬるなといふやうなることを あるいはふるきをとりあるいはめつたしくたくみ なるやうにとりなすへし勝命云かなに物かく ことは清輔いみしき上手也花のもとには はなのまら人きたりかきのもとにかきの もとのゑいをかけたりとあるほとなとことにみゆ/e77l かなのたいはかやうにかくへきそ/e78r