無名抄 ====== 第73話 取名所様 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 取名所様 ** 一には、名所を取る故実あり。国々の歌枕、数も知らず多かれど、その歌の姿に従ひて詠むべきところあるなり。譬へば、山水を造るに、松を植うべき所には岩を立て池を掘り、花を咲かすべき地には山を築(つ)き眺望をなすがごとく、その所の名によりて歌の姿を飾るべし。これら、いみじき口伝なり。もし、歌の姿と名所と、かき合はずなりぬれば、こと違ひたるやうにて、いみじき風情あれど、破れて聞こゆるなり。   よそにのみ見てややみなん葛城の高間の山の峰の白雲   照射(ともし)する宮城が原の下露に花摺衣(はなずりごろも)乾く間ぞなき   東路(あづまぢ)を朝立ち来れは葛飾や真間の継橋(つぎはし)((底本「まののつきはし」。「ままの」とする本があり、歌枕としてはこちらが正しいため訂正))霞わたれり   夕されば野辺の秋風身にしみて鶉(うづら)鳴くなり深草の里 始めの歌は姿清げに遠白ければ、高間の山、ことにかなひて聞こゆ。照射の歌、詞遣(ことばづか)ひ優しければ、宮城が原に思ひ寄れり。東路の歌、わりなく思ふ所ある体なれば、葛飾・真間の継橋((底本「まののつきはし」。「ままの」とする本があり、歌枕としてはこちらが正しいため訂正))、さもと聞こゆ。秋風の歌、もの寂しき姿なるにより、深草の里、ことにたよりあり。尽して書くべからず。これらにて心得つべし。 ===== 翻刻 ===== 取名所様 一には名所をとる故実あり国々の哥枕かすも しらすおほかれとその哥のすかたにした かひてよむへきところある也たとへは山水 をつくるに松をうふへき所には岩をたて/e73l 池をほり花をさかすへき地には山をつき 眺望をなすかことくその所の名により て哥のすかたをかさるへしこれらいみしき 口伝也もし哥のすかたと名所とかきあ はすなりぬれはことたかひたるやうにていみ しきふせいあれとやふれてきこゆる也 よそにのみみてややみなんかつらきの たかまの山のみねのしら雲 ともしするみやきかはらのしたつゆに 花すり衣かはくまそなき/e74r あつまちをあさたちくれはかつしかや まののつきはしかすみわたれり ゆふされは野辺の秋風身にしみて うつらなくなりふかくさのさと はしめの哥はすかたきよけにとをしろけれは たかまの山ことにかなひてきこゆともしの哥 ことはつかひやさしけれはみやきかはらにおもひ よれりあつまちの哥わりなくおもふ所ある 体なれはかつしかまののつきはしさもときこゆ 秋風の哥物さひしきすかたなるによりふかく/e74l さの里ことにたよりありつくしてかくへから すこれらにてこころえつへし/e75r