無名抄 ====== 第40話 榎の葉井 ====== ===== 校訂本文 ===== ** えのは井 ** ある人いはく、「宮内卿有賢朝臣、時の殿上人七・八人相伴(あひともな)ひて、大和の国葛城(かづらき)の方へ遊びに行(ゆ)かれたる事ありけり。その時、ある所に、荒れたる堂の大きにやうやうしきが見えければ、あやしくて、その名を逢ふ人ごとに問ひけれど、知れる人も無かりけり。かかる間に、ことの外に鬢(びん)白き翁、一人まみえけり。『これはしも様(やう)あらむ』とて尋ねければ、『これをば豊浦(とよら)の寺とぞ申す』と言ふ。人々、『いみじきことなり』と返す返す感じて、『さるにては、この辺に榎の葉井といふ井やある』と問ふ、『みなあせて、水も侍らねど、今に侍り』とて、堂より西、幾程(いくほど)も去らぬほどに行きて教へければ、人々興に入りて、やがてそこに群れ居て、葛城といふ歌数十返歌ひて、この翁に衣(きぬ)ども脱ぎてかづけたりければ、覚えぬことに遭ひて、喜びかしこまりて去りにけり」とぞ。 近く、土御門の内大臣家に、月ごとに影供せられけることの侍りしころ、忍びて御幸などのなるときも侍りき。その会に「古寺月」といふ題に、詠みて奉りし、   古りにける豊浦(とよら)の寺の榎の葉井になほ白玉を残す月影 五条三位入道、これを聞きて、「優しくもつかうまつれるかな。入道がしかるべからん時、取り出でんと思ひ給へつることを、かなしく先ぜられにたり」とて、しきりに感ぜられ侍りき。 この事、催馬楽の詞なれば、誰も知りたれど、これより先には歌に詠めること見えず。その後こそ冷泉(れんせい)の中将定家の歌に読まれ侍りしか。 ===== 翻刻 ===== エノハ井 或人云宮内卿有賢朝臣ときの殿上人七八人 あひともなひて山との国かつらきの方へあそ/e33r ひにゆかれたる事ありけりその時ある所にあれ たるたうのおほきにやうやうしきかみえけれはあや しくてその名をあふ人ことにとひけれとしれる 人もなかりけりかかるあひたにことの外にひん しろきおきなひとりまみえけりこれはしも やうあらむとてたつねけれはこれをはとよらの 寺とそ申といふ人々いみしきことなりと返々 感してさるにてはこのへんにゑのは井といふ井 やあるととふみなあせて水も侍らねと今に侍り とてたうよりにしいくほともさらぬほとに/e33l ゆきてをしへけれは人々けふに入てやかて そこにむれゐてかつら木といふ哥数十返う たひてこのおきなにきぬともぬきてかつけ たりけれはおほえぬことにあひてよろこひかし こまりてさりにけりとそちかく土御門の内 大臣家に月ことに影供せられけることの侍し 比しのひて御幸などのなるときも侍きその 会に古寺月といふ題によみてたてまつりし ふりにけるとよらの寺のゑのは井に なをしらたまをのこす月かけ/e34r 五条三位入道これをききてやさしくもつかうま つれるかな入道かしかるへからん時とりいてんとおもひ たまへつることをかなしくせんせられにたりとて しきりに感せられ侍きこのことさいはらのことは なれはたれもしりたれとこれよりさきには哥に よめることみえすそののちこそれんせいの中将定家 の哥によまれ侍しか/e34l