無名抄 ====== 第16話 ますほのすすき ====== ===== 校訂本文 ===== ** ますほのすすき ** 雨の降りける日、ある人のもとに、思ふどちさし集まりて、古き事なん語り出でたりけるついでに、「『ますほの薄(すすき)』といふは、いかなる薄ぞ」など、言ひしろふほどに、ある老人のいはく、「『渡辺(わたのへ)といふ所にこそ、このこと知りたる聖(ひじり)はあり』と聞きき侍りしか」と、ほのぼの言ひ出でたりけり。 登蓮法師、その中にありて、この事を聞きて、言葉少なになりて、また問ふこともなく、主(あるじ)に、「蓑笠しばし貸し給へ」と言ひければ、「あやし」と思ひながら取り出でたりけり。物語をも聞きさして、蓑うち着、藁沓(わらぐつ)さし履きて、急ぎ出でけるを、人々、あやしがりて、その故(ゆゑ)を問ふ。 「渡辺へまかるなり。年来(としごろ)いぶかしく思ひ給へし事を、『知れる人あり』と聞きて、いかでか尋ねにまからざらむ」と言ふ。驚きながら、「さるにても、雨やめて、出で給へ」と諫(いさめ)めけれど、「いで、はかなき事をも、のたまふかな。命は我も人も雨の晴れ間など待つべき事かは。何事も、今静かに」とばかり言ひ捨てて往にけり。いみじかりける数奇者なりかし。さて、本意(ほい)のごとく尋ね合ひて、問ひ聞きて、いみじう秘蔵(ひさう)しけり。 この事、第三代の弟子にて伝へ習ひて侍り。この薄、同じさまにて、あまた侍り。「ますほのすすき」・「まそをのすすき」・「まそうのすすき」とて、三種(みくさ)侍るなり。 「ますほのすすき」といふは、穂の長くて、一尺ばかりあるをいふ。かの「ます鏡」をば、万葉集には「十寸の鏡」と書けるにて心得べし。 「まそをのすすき」といふは、真麻の心なり。これは俊頼朝臣の歌にぞ詠みて侍る。「まそを((底本、「まそう」とあり、「う」の隣に「を歟」と傍注。傍注に従う。))の糸を繰りかけて」と侍るかとよ。糸などの乱れたるやうなるなり。 「まそうのすすき」とは、「真(まこと)に蘇芳(すはう)也」といふ心なり。「真蘇芳(ますはう)のすすき」といふべきを、言葉を略したるなり。色深き薄(すすき)の名なるべし。 これ、古集などに確かに見えたることなれど、和歌の習ひ、かやうの古事(ふること)を用ゐるも、また世の常の事なり。あまねく知らず。みだりに説くべからず。 ===== 翻刻 ===== マスホノススキ 雨のふりけるひある人のもとにおもふとちさし/e17r あつまりてふるきことなんかたりいてたりけるつゐて にますほのすすきといふはいかなるすすきそなと いひしろふほとにある老人のいはくわたのへといふ ところにこそこのことしりたるひしりはありと きき侍しかとほのほのいひいてたりけり登蓮法師 そのなかにありてこの事をききてことはすくなに なりて又とふこともなくあるしにみのかさしは しかし給へといひけれはあやしとおもひなからとり いてたりけり物かたりをもききさしてみのうち きわらくつさしはきていそきいてけるを人々/e17l あやしかりてそのゆへをとふわたの辺へまかる なりとしころいふかしくおもひ給へし事をしれ る人ありとききていかてかたつねにまからさらむ といふをとろきなからさるにてもあめやめていて給へ といさめけれといてはかなき事をもの給かな命は われも人もあめのはれまなとまつへき事かは何事も いましつかにとはかりいひすてていにけりいみしかり けるすき物なりかしさてほいのことくたつねあひて とひききていみしうひさうしけりこの事第三 代の弟子にてつたへならひて侍りこのすすきをな/e18r しさまにてあまた侍りますほのすすき まそをのすすきまそうのすすきとてみくさ侍 なりますほのすすきといふはほのなかくて一尺 はかりあるをいふかのますかかみをは万葉集には十寸 のかかみとかけるにて心うへしまそをのすすきと いふは真麻の心なりこれは俊頼朝臣の哥にそよみ て侍るまそう(を歟)のいとをくりかけてと侍かとよいとなと のみたれたるやうなるなりまそうのすすきとは まことにすわう也といふ心也ますわうのすすきと いふへきをことはを略したるなり色ふかきすすき/e18l の名なるへしこれ古集なとにたしかにみえたる ことなれと和哥のならひかやうのふることをもち ゐるも又よのつねのこと也あまねくしらすみた りにとくへからす/e19r