蒙求和歌 ====== 第11第12話(162) 范張雞黍 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 范張雞黍 後漢代人 ** 後漢の范式((范巨卿))と張元伯とは、心ざし浅からざりし友なり。二人の住処(すみか)の遠さ、千里を隔てたりければ、春の天に別れ去りて、秋の末に後会を期しけり。 元伯、九月十五日に黍(きび)の飯(いひ)をして、鶏(にはとり)をまうけて、范式を待つに、母のいはく、「道千里を隔てたり。ただ今、必ずしも、しかるべからず」と言ふほどに、范式すでに来たれりと言へり。 またいはく、范式、元伯に別るとて、二年の後、日を定めて、後会を契りけり。期至りて、母は酒を温めて待つに、范式来たりて拝飲すとも言へり。 またいはく、元伯、病(やまひ)重くなりて、死なむとする時、「われ、范式と命をかぎりし友なり。死にても、范式に会はむ」と言ひて、引き入りにけり。棺(ひつぎ)に収めて、墓に埋(うづ)まむとするに、棺、動くことなし。 人驚き、怪しみけり。母のいはく、「元伯、いまはの時に((「いまはの時に」は底本「イナハノ時ニ」。書陵部本により訂正。))臨みて、言ふことありき。『范式とわれとは、命をかぎる友なり。死にても、范式に会はむ』と言ふと。このゆゑに、待つところあるべし」と言ふほどに、西の方より、素衣・白馬の人の馳せ来たるあり。すなはち范式なりけり。棺の傍らに下り居ぬ。 「わが夢の中に、元伯来たりていはく、『命すでに終りぬ。今一度(ひとたび)会ひ見むことを思ふに、黄泉路(よみぢ)も行きやらず』と言ひき。さて、おどろきて、馳せ来たれる所に、すでに夢の中(うち)のごとし」と言ひも果てず、悲しび泣くこと、声も惜しまず。親しき踈(うと)き、これを見るに、あはれをもよほさずといふことなし。 しばしありて、棺を持つに、軽(かろ)くなりぬ。墓に収めて、范式、みづから土を運びて、墓を築(つ)きて、喪礼を終へて、泣く泣く帰りぬ。   消えかへり雲の千里(ちさと)を隔てても友まつ雪の((「友まつゆきの」、底本「マツユキノ」。書陵部本により「友」を補う。))あはれをぞ知る ===== 翻刻 ===== 范張雞黍   後漢代人 後漢ノ范式(シヨク)ト張元伯トハ心サシアサカラサリシトモナリ フタリノスミカノトヲサ千里ヲヘタテタリケレハ春ノ天ニ ワカレサリテ秋ノスヱニ後会ヲ期シケリ元伯九月十五日 ニキヒノイヒヲシテニハトリヲマウケテ范式ヲマツニ母ノイハク ミチ千里ヲヘタテタリタタイマカナラスシモシカルヘカラス ト云ホトニ范式ステニキタレリト云ヘリ 又云范式元伯ニワカルトテ二年ノノチ日ヲサタメテ後会 ヲチキリケリ期イタリテ母ハ酒ヲアタタメテマツニ范式キ タリテ拝飲ストモ云ヘリ 又云元伯ヤマヒヲモクナリテシナムトスルトキワレ范式ト命 ヲカキリシトモナリシニテモ范式ニアハムト云テヒキ入ニケ リヒツキニヲサメテハカニウツマムトスルニヒツキウコクコトナシ人/d2-22l ヲトロキアヤシミケリ母ノ云ク元伯イナハノ時ニノソミテ云 コトアリキ范式トワレトハ命ヲカキルトモナリシニテモ范式 ニアハムト云トコノユヘニマツトコロアルヘシト云ホトニ西ノ方 ヨリ素衣白馬ノ人ノハセキタルアリスナハチ范式ナリケリヒ ツキノカタハラニヲリヰヌワカユメノ中ニ元伯キタリテ云ク 命ステニヲハリヌイマヒトタヒアヒミム事ヲ思ニヨミチモユキ ヤラストイヒキサテヲトロキテハセキタレル所ニステニユメノウ チノコトシト云モハテスカナシヒナクコトコヱモヲシマスシタ シキウトキコレヲミルニアハレヲモヨヲサストイフ事ナシシハ シアリテヒツキヲモツニカロクナリヌハカニヲサメテ范式ミツカラ ツチヲハコヒテハカヲツキテ喪礼ヲヲヘテナクナクカヘリヌ キヘカヘリクモノチサトヲヘタテテモマツユキノアハレヲソシル/d2-23r