蒙求和歌 ====== 第8第2話(112) 於陵辞聘 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 於陵辞聘((「聘」は底本「躬」。原典により訂正。)) ** 楚王、於陵子おほきに賢なることを知りて、「相とせむ」として、仕ひをつかはして、金を百鎰送りて召せども、金を返して「参らず」と言へり。 >陳仲子、高伝((高士伝))にいはく、於陵子、もとは仲子、斉の国の人なり。妻とともに楚に行きて、於陵といふ所にこもり居て、みづから於陵子といふ。貧しけれども、いやしくも非儀のむさぼりを求めず。楚王、賢なることを<聞きて、「相として使はむ」と思して、金百鎰を送りて、しきりに召しに遣はしければ、妻に言ひ合はせてけり。 >「今日、相となりて、明日、駟をむすび、騎を連ねて、なんぢが心を楽しばしめむ」と((底本「と」なし。文脈により補う。))言ひけり。妻のいはく、「駟をむすび、騎を連ねて、楽しばむ所に、膝を方丈に入るるに過ぎじ。あまねくする所((「あまねくする所」は底本「アマクスル所」。文脈により補う。))、一肉に過ぎじ。あやしき庵(いほ)の内に沈みては、なかなかおだしき身なり。すすみて楚国に仕へて、憂へをいだかむこと、恐らくは、なんぢ、命をたもつべし」と答へけり。 >於陵、逃るる方なきことを((「なきことを」は底本「ナキコトハヲ」。衍字とみて「ハ」を削除。))いよいよ思ひ知りて、使者に謝して、金を受け取らずして、つひに参らず。妻とともに、なほ山深く隠れ去りぬと云へり。   ともすれば人に問はれし道かへてなほ山深く住みぞなれつる ===== 翻刻 ===== 於(ヨ)陵(レウ)辞(シ)躬(ヘイ)   楚王於陵子ヲホキニ賢ナル事ヲ/シリテ相トセムトシテツカヒヲツカハ シテ金ヲ百鎰ヲクリテメセトモ金ヲカヘシテマイラ スト云ヘリ 陳仲子高伝ニ云於陵子モトハ仲子斉ノ国ノ人也 妻トトモニ楚ニユキテ於陵ト云所ニコモリヰテミツカ ラ於陵子ト云フマツシケレトモイヤシクモ非儀ノ ムサホリヲモトメス楚王賢ル事ヲキキテ相トシテ ツカハムトヲホシテ金百鎰ヲヲクリテ頻ニメシニ遣シ ケレハ妻ニイヒアハセテケリケフ相トナリテアス駟ヲム スヒ騎ヲツラネテナムチカ心ヲタノシハシメムイヒケリ 妻ノ云ク駟ヲムスヒ騎ヲツラネテタノシハム所ニヒサヲ方/d2-3l 丈ニイルルニスキシアマクスル所一肉ニスキシアヤシキイ ホノ内ニシツミテハ中々ヲタシキミナリススミテ楚国ニツカ ヘテウレヱヲイタカムコトヲソラクハ汝チ命ヲタモツヘシ トコタヘケリ於陵ノカルル方ナキコトハヲイヨイヨ思ヒシリ テ使者ニ謝シテ金ヲウケトラスシテツヰニマヒラス 妻トトモニナヲ山フカクカクレサリヌト云ヘリ トモスレハ人ニトハレシミチカヘテ ナヲ山フカクスミソナレツル/d2-4r