蒙求和歌 ====== 第5第3話(73) 詰汾興魏 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 詰汾興魏((「汾」は底本「紛」。諸本及び典拠により訂正。)) ** 詰汾((拓跋詰汾))は魏の武帝の諱(いみな)なり。昔、数万騎を引きつれて、山沢に出でて狩りし給ふ所に、輜軿の天より飛び下れるなりけり。近く寄りて見給ふに、言ひ知らず形良き女あり。「われは天女なり。命(めい)を受けて来たれるなり」と言ふ。 帝、心に「あやし」とは思ひながら、世々(よよ)の契りにまかせて、旅の床に((「旅の床に」は底本「タチユカニ」。書陵部本(桂宮本)により訂正。))夜を明かし給ふに、気色・ことがらより始めて、心ざままで、この世の人のたぐひにあらず。うちつきにかぎりなく思しけり。 一夜の夢((底本「の」なし。書陵部本(桂宮本)により補う。))よりもあやなくて、五更すでに明けなむとするに、飽かぬ名残り、せむかたなくし給ふ。思ひ耐へ忍ぶべきにあらず。また来む年の、今日とばかりを言ひ置きて、雨のごとく、風のごとくにして、別れ去りぬ。 帝、この後に、心を空(そら)なるながめに明かし暮らし給ふに、去年の今日にもなりぬれば、また山沢に御幸(みゆき)あり。時のおし移るも心もとなく待たれ給ふに、天女、一人の男子(おのこご)を抱(いだ)きて来たれば、「これは君の子なり。子孫、代(よ)を重ねて、帝王となるべし」と言ふ。帝、抱きとり((「抱きとり」は底本「ヲキトリ」。書陵部本(桂宮本)により訂正。))給ひて、睦言(むつごと)も尽きぬに、帰り去りぬれば、あさましく、あやなく、歎かしく思しけり。 始祖元帝((拓跋力微))と聞こえしは、この小児(せうに)のことなり。   なでしこの行く末遠き色見れば別れし花の形見なりけり((「なりけり」は底本「カリケリ」。諸本により訂正。)) ===== 翻刻 ===== 詰(カウ)紛(フム)興(コウ)魏(クヰ) 〃〃ハ魏ノ武帝ノイミナナリ昔数万騎ヲヒキツレテ山 沢ニイテテカリシ給フ所ニ輜(シ/キヌ)軿(レト/クルマ)ノ天ヨリトヒクタレル ナリケリ近クヨリテミ給ニイヒシラスカタチヨキ女アリ我レハ 天女ナリ命(メイ)ヲウケテ来レルナリト云帝心ニアヤシトハ思ヒ ナカラヨヨノチキリニマカセテタチユカニ夜ヲアカシ給ニ ケシキコトカラヨリハシメテ心サママテコノヨノ人ノタクヒニ アラスウチツキニカキリナクヲホシケリ一夜ユメヨリモアヤ ナクテ五更ステニアケナムトスルニアカヌナコリセムカタナ クシタマウヲモヒタヘシノフヘキニアラスマタコムトシノケフ トハカリヲイヒヲキテアメノコトクカセノコトクニシテワカレ/d1-35l サリヌ帝コノノチニ心ヲソラナルナカメニアカシクラシ給フニ 去年ノ今日ニモナリヌレハ又山沢ニミユキ有リ時ノヲシウツルモ 心モトナクマタレタマフニ天女一人ノヲノココヲイタキテ キタレハコレハ君ノ子ナリ子孫ヨヲカサネテ帝王トナルヘシ ト云フ帝ヲキトリタマヒテムツコトモツキヌニカヘリサリヌレハ アサマシクアヤナクナケカシクヲホシケリ始(シ)祖(ソ)元(クエム)帝ト キコエシハコノ小(セウ)児(ニ)ノ事ナリ ナテシコノユクスヘトヲキイロミレハワカレシハナノカタミカリケリ/d1-36r