蒙求和歌 ====== 第2第5話(25) 漂母進食 郭公 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 漂母進食 郭公 ** 韓信は淮陰の人なり。若き時、家貧しかりけり。 下邳といふ所に行きて、魚(いを)を釣りけるに((「釣りけるに」は、底本「イヲヲツクリケルニ」で「庵(いお)を作りけるに」か。また、書陵部本(桂宮本)・書陵部本は「家をつくりけるに(作けるに)」となっている。しかし、ここではもとの故事に従い、「ク」を衍字とみて、「釣りけるに」に改めた。))、漂母来て、韓信を敬ひあはれみて、おのが家に入れて休め慰む。 食進むること日重なりにけり。韓信、これが情けを思ひ知りて、「重く報いむ」と言ふに、漂母がいはく、「われ、王孫をあはれむゆゑに、君がことを、おろそかならざるなり。報いむことをば望まず」と答へけり。 後に、韓信、楚王として、下邳に都として、漂母を召して、百金を賜ひけり。   あはれとぞ思ひ知りぬるほととぎす語らひをきしいにしへの音(こゑ) ===== 翻刻 ===== 漂母進食 郭公 韓信ハ淮陰人也若時家マツシカリケリ下邳(ヒ)ト云所ニ 行テイヲヲツクリケルニ漂母来テ韓信ヲウヤマヒアハレミテ ヲノカ家ニ入テヤスメナクサム食ススムルコト日カサナリ/d1-17r ニケリ韓信此カナサケヲ思シリテヲモクムクヰムト云ニ漂母カ 云ク我王孫ヲアハレム故ニ君カコトヲオロソカナラサルナリムク イムコトヲハノソマストコタヘケリ後ニ韓信楚王トシテ下邳(ヒ)ニ 都トシテ漂母ヲメシテ百金ヲ給ヒケリ アハレトソヲモヒシリヌルホトトキスカタライヲキシ古ヘノ音ヘ/d1-17l