古本説話集 ====== 第70話 関寺の牛の間の事 ====== **関寺牛間事** **関寺の牛の間の事 ** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、左衛門の大夫、平の義清(のりきよ)が父、越後の守((平中方))、その国より白き牛を得たり。年ごろ乗りて歩(あり)くほどに、清水なる僧に取らせて、また関寺の聖の関寺造るに、空車(むなぐるま)を持ちて、牛のなかりければ、この牛を聖に取らせつ。 聖、このよしを言ひて、寺の木を引かす。木のある限り引き果てて後に、三井寺の前大僧正、夢に関寺に参り給ひけるに、御堂の前に白き牛繋ぎてあり。僧正、「こはなんぞの牛ぞ」と問ひ給へば、牛の言ふやう、「己は迦葉仏なり。しかるを、『この寺の仏を助けむ』とて、牛になりたるなり」と見て、夢覚めぬ。「心得ぬ夢かな」とおぼして、僧一人をもちて、関寺に「寺の木引く牛やある」と問ひに遣り給ふ。 使ひの僧、帰りて、「白き大きなる牛、角少し平みたるなむ、聖の傍らに立てて飼ふ。『こは何ぞの牛ぞ』と問へば、『この寺の木引く料にまうけたるなり』といふ」。 そのよしを申せば、驚き尊び給ひて、三井寺より多くの僧ども引き具して、関寺へ参り給ふ。牛を尋ね給ふに、見えず。問ひ給へば「飼ひに山の方へ遣はしつ。取りに遣はさむ」と言ひて、童を遣りつ。牛、童に違(ちが)ひて、御堂の後ろの方に来たり。「取りて率てこ」とのたまへば、取られず。僧正のかたじけながりて、「な取りそ。離れて歩かむを拝むべし」とて、拝み給ふと、僧どもも拝む。その時に、牛、御堂を三巡(みめぐ)り巡りて、仏の方に向ひて寄り臥しぬ。「稀有の事なり」と言ひて、聖はじめて、泣くこと限りなし。 それより後、世に広ごりて、京中の人、こぞりて詣でずといふことなし。入道殿((藤原道長))より始め奉りて、殿ばら、上達部、参らぬなきに、小野宮右の大臣((藤原実資))のみぞ参り給はざりける。閑院のおほき大殿((藤原公季))、参り給ひて、下衆のやんごとなく多かりければ、車より降りて歩まむ。軽々(きやうきやう)におぼしければ、この寺に車に乗りながら入り給ふを、罪得がましくやおぼしけむ、縄を引き切りて、山ざまへ逃げて往ぬ。大殿、下りゐて、「乗りながらありつるを、『無礼(むらい)なり』とおぼして、この牛は逃げぬるなめり」と、悔い悲しみ給ふこと限りなし。 その時に、かく懺悔(さんくゑ)し給ふを、「あはれ」とやおぼしけむ、やをら山から下り来て、牛屋の内に寄り臥しぬ。その折に大殿(おとど)、草を取りて牛に食はせ給ふ。牛、異草(ことくさ)は食はぬ心に、この草をくぐめば、大殿、直衣(なをし)の袖を顔にふたぎて、泣き給ふ。見る人も貴がりて泣く。鷹司殿の上((藤原道長室源倫子))、大殿の上((藤原公季室))も、皆参り給へり かくのごとく、四五日がほど、こぞりて参り集ふほどに、聖の夢に、この牛言ふやう、「今はこの寺の事し果てつ。明後日(あさて)の夕方帰りなんず」と言ふ。夢覚めて、泣き悲しみて、僧正候ふ房に参りて申すに、「この寺にも、かかる夢見て語る人ありつ。あはれなることかな」と言ひて、いみじう貴がり((底本「たうかり」))給ふ。その時に、よろづの人聞きつきて、いよいよ参ること、道の隙さりあふることなし。 その日になりて、山・三井寺・奈良の僧、参り集まりて、阿弥陀経を誦むこと、山響くばかりなり。やうやう夕暮れになるほどに、牛つゆなづむことなし。「かくて、死なでやみなんずるなめり」と言ひ笑ふ、さはふ物どもあり。 やうやう暮れ方になるほどに、臥したる牛、立ち走りて、御堂ざまに参りて三巡り舞ふ。苦しがりて、臥しては起き、臥しては起きしつつ、汗になりて、たしかに三巡りして、牛屋に帰りて、北枕に臥して四(よ)つの足をさし延べて、寝入るがごとくして死ぬ。その時に参り集まりたる、そこそばくの道俗男女(たうぞくなむによ)、声も惜しまず泣きあひたり。阿弥陀経誦むこと、念仏(ねぶつ)申すこと、限りなし。 その後七日七日(なぬかなぬか)の経仏、四十九日、またの年の果てに至るまで、よろづの人、とりどりに行ふ。牛をば、牛屋の上の方に少し上りて、土葬し奉りつ。その後、卒塔婆を立てて、釘ぬきして、上に堂を造る。 この三井寺の仏は弥勒におはす。居丈は三尺なり。昔の仏は堂もこぼれ、仏も朽ち失せて、「昔の関寺の跡」など言ひて、御めしばかりを見て、昔の関寺の跡、知りたる人もあり、知らぬ人もあり。 横川の源信僧都、「もとのやうに造り建てむ。跡形もなくて、かくおはする、悲しきことなり。関の出で果てにおはすれば、よろづの国の人、拝まであるべきやうもなし。仏に向かひ奉りて、少し頭(かうべ)を傾けたる人、かならず仏になる。いかにいはむや、左右の掌(たなごころ)を合はせて、額に当てて、一善の心を起して拝む人は、当来の弥勒の世にかならず生まるべし。釈迦仏、かへすがへす説き給ふことなれば、仏の御法を信ぜん人は、疑ふべきにもあらず。要須(えうす)の寺なり」とおぼして、横川に〈えきう〉といひて、たううある僧に言ひつけて、知識引かせて、やうやう仏の御形に刻み奉る間、僧都失せ給ひて、この〈えきう〉聖、「故僧都の仰せ給ひしことなり」と言ひて、仏師〈かう上〉にも懇ろに語らひて造らせ給へる。 僧都の仰せられしままに、二階(かい)に造りて、上の階(こし)から御顔は見え給へば、よろづの人、拝み奉る。 やうやう造るに、材木なども、はかばかしくも出で来ず、仏の御箔も、押し果てられ給はぬに、この牛仏拝み奉ると、よろづの物を具しつつ、この御寺に奉る物を取り集めて、堂並びに大門、また、余りたる物をば、僧房を造りて、その後にも、また物の余りたりければ、供養を設けて大会を行ひつ。それより後、にしきをひきつつ誦経を加ふ。 おほよそ、その寺の仏を拝み奉らぬ人なし。一度も心をかけて拝む人は、かならず弥勒の世に生るべき業を作りかためつ、となむ。 ===== 翻刻 ===== いまはむかしさゑもんの大夫平ののりきよか ちちゑちこのかみそのくによりしろきうしを えたりとしころのりてありくほとにきよ水/b266 e136 なる僧にとらせて又関寺のひしりの関寺つ くるにむなくるまをもちてうしのなかりけれは このうしをひしりにとらせつひしりこの よしをいひて寺の木をひかすきのあるかきり ひきはててのちに三井寺の前大僧正ゆめにせ きてらにまいり給けるに御たうの前にしろきう しつなきてあり僧正こはなんそのうしそと とひ給へはうしのいふやうをのれはかせう仏也しかる をこのてらのほとけをたすけむとて牛になりたる なりとみてゆめさめぬ心えぬゆめかなとおほして/b267 e136 僧一人をもちてせきてらに寺の木ひくうし やあるととひにやり給つかひの僧かへりてしろき おほきなるうしつのすこしひらみたるなむひし りのかたはらにたててかふこはなむその牛そとと へはこのてらのきひくれうにまうけたる也といふそ のよしを申せはをとろきたうとひ給て三井寺 よりおほくの僧ともひきくしてせきてらへまいり給 牛をたつね給にみえすとひ給へはかひにやまのか たへつかはしつとりにつかはさむといひてわらわを やりつ牛わらはにちかひて御たうのうしろのかたに/b268 e137 きたりとりてゐてことの給へはとられす僧正のかた しけなかりてなとりそはなれてありかむををかむへし とてをかみ給と僧とももをかむその時に牛御たうを みめくりめくりてほとけのかたにむかひてよりふ しぬけふの事なりといひてひしりはしめて なくことかきりなしそれよりのちよにひろこりて 京中のひとこそりてまうてすといふことなし 入道殿よりはしめたてまつりて殿はらかむたち めまいらぬなきに小野宮右のをととのみそまいり 給はさりけるかん院のおほき大殿まいり給てけす/b269 e137 のやんことなくおほかりけれはくるまよりをりて あゆまむきやうきやうにおほしけれはこのてらにく るまにのりなからいり給をつみえかましくやおほ しけむなわをひききりてやまさまへにけていぬ大 殿をりゐてのりなからありつるをむらいなりと おほしてこのうしはにけぬるなめりとくひかなし み給ことかきりなしその時にかくさんくゑし給 をあはれとやおほしけむやをら山からをりきて うしやのうちによりふしぬそのをりにおととくさ をとりて牛にくわせ給うしことくさはくはぬ心に/b270 e138 このくさをくくめは大殿なをしの袖をかほ にふたきてなき給みるひともたうとかりてなくたか つかさとののうへ大殿のうへもみなまいり給へりか くのことく四五日かほとこそりてまいりつとうほとに ひしりのゆめにこの牛いふやういまはこのてら のことしはてつあさてのゆふかたかへりなんすと いふゆめさめてなきかなしみて僧正候房にま いりて申にこのてらにもかかるゆめみてかたる人 ありつあはれなることかなといひていみしうたうか り給その時によろつのひとききつきていよいよ/b271 e138 まいることみちのひまさりあふることなしその 日になりて山三井寺ならの僧まいりあつまりて あみた経をよむこと山ひひくはかり也やうやうゆふく れになるほとに牛つゆなつむことなしかくてし なてやみなんするなめりといひわらふさはふ物ともあ りやうやうくれかたになるほとにふしたるうし たちはしりて御たうさまにまいりてみめくりま ふくるしかりてふしてはをきふしてはをきしつつあせに なりてたしかにみめくりしてうしやにかへりて きたまくらにふしてよつのあしをさしのへて/b272 e139 ねいるかことくしてしぬそのときにまいりあつま りたるそこそはくのたうそくなむ女こゑもをし ますなきあひたりあみた経よむことねふつ申こと かきりなしそののちなぬかなぬかの経仏卌九日又の としのはてにいたるまてよろつのひととりとりにを こなふうしをはうしやのかみのかたにすこしのほ りてとさうしたてまつりつそののちそとはを たててくきぬきしてうゑにたうをつくるこの 三井寺のほとけはみろくにおはすゐたけは三尺なり むかしのほとけはたうもこほれほとけもくちうせて/b273 e139 昔の関寺のあとなといひて御めしはかりをみて むかしのせきてらのあとしりたるひともありし らぬ人もありよかはのけんしむ僧都もとのやうに つくりたてむあとかたもなくてかくおはするかなし きことなりせきのいてはてにおはすれはよろつの くにの人をかまてあるへきやうもなしほとけに むかひたてまつりてすこしかうへをかたむけたる人 かならすほとけになるいかにいはむや左右のたな 心をあはせてひたひにあてていちせんの心ををこ してをかむ人はたうらいのみろくの世にかならす/b274 e140 むまるへし釈迦仏かへすかへすとき給ことなれは仏の みのりをしんせん人はうたかふへきにもあらすえう すのてら也とおほしてよかはにえきうといひてた ううあるそうにいひつけてちしきひかせてやうやう 仏のみかたにきさみたてまつるあひた僧都うせ給 てこのえきうひしりこ僧都のおほせ給しこ となりといひて仏師かう上にもねんころにかた らひてつくらせ給へる僧都のおほせられしままに二 かいにつくりてかみのこしから御かほはみえ給へは よろつの人をかみたてまつるやうやうつくるにさい木/b275 e140 なともはかはかしくもいてこす仏の御はくもを しはてられ給はぬにこのうしほとけをかみたて まつるとよろつの物をくしつつこの御てらにた てまつる物をとりあつめてたうならひに大もん又 あまりたる物をは僧房をつくりてそののちにも 又物のあまりたりけれはくやうをまうけて大ゑを をこなひつそれよりのちにしきをひきつつす経 をくわうおほよそその寺のほとけををかみたてま つらぬ人なし一ともこころをかけてをかむ人は かならすみろくのよにむまるへき業をつくりかため/b276 e141 つとなむ/b277 e141