古本説話集 ====== 第20話 伯の母の事 ====== **伯母事** **伯の母の事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、多気(たけ)の大夫((平維幹))といふ者の、常陸より上りて愁へするころ、向かひに越前の守((高階成順))といふ人のもとに逆修(ぎやくす)しけり。この越前の守は伯の母((神祇伯康資王の母))とて、世にめでたき人、歌詠みの親なり。妻は伊勢大輔((大中臣輔親女))。姫君たちあまたあるべし。 多気の大夫、つれづれに思ゆれば、聴聞に参りたりけるに、御簾を風の吹き上げたるに、なべてならず美しき人の、紅の単襲(ひとへがさね)着たるを見るより、「この人を妻(め)にせばや」と、いりもみ思ひければ、その家の上童を語らひて問ひ聞けば、「大姫御前の紅は奉るりたる」と語りければ、それに語らひつきて、「我に盗ませよ」と言ふに、思ひがけず、「えせじ」と言ひければ、「さは、その乳母を知らせよ」と言ひければ、「それはさも申してむ」とて知らせてけり。 さて、いみじく語らひて金百両取らせなどして、「この姫君を盗ませよ」と、責め言ひければ、さるべき契にやありけむ、盗ませてけり。 やがて、乳母うち具して、常陸へ急ぎ下りにけり。後に泣き悲しめどかひもなし。程経て乳母訪れたり。あさましく、心憂しと思へども、いふかひなき事なれば、時々うちおとづれて過ぎけり。伯の母、常陸へかく言ひやり給ふ。   匂ひきや宮この花は東路に東風(こち)の返しの風につけしは 返し。姉。   吹き返す東風の返しは身に染みき宮この花のしるべと思ふに 年月隔たりて、伯の母、常陸の守の妻にて下りけるに、姉は失せにけり。女(むすめ)二人ありけるが、かくと聞きて参りたりけり。田舎人とも見えず、いみじくしめやかに、はづかしげによかりけり。常陸の守の上を、「昔の人に似させ給ひたりける」とて、いみじく泣きあひたりけり。 四年か間、名聞にも思ひたらず。用事(えうじ)なども言はざりけり。 任果てて上らるる折に、常陸の守、「むげなりける者どもかな。かくなむ上ると、言ひにやれ」と男に言はれて、伯の母、上るよし言ひやりたりければ、「うけたまはりぬ。参り候はむ」とて、明後日上らむとての日、参りたりけり。 えもいはぬ馬の一を宝にするほどの馬十疋づつ、二人して、また、皮籠(かはご)負ほせたる馬も百疋づつ、二人して奉りたり。何とも思ひたらず、かばかりの事したりとも思はず、うち奉りて帰りにけり。常陸の守のありける、常陸四年が間の物は何ならず、その皮籠の物どもしてこそ、よろづの功徳も何ごともし給ひけれ。「ゆゆしかりける者どもの、心の大きさ、広さかな」と語られけるとぞ。 この伊勢大輔、子孫はめでたき幸ひ人多く出で来給たるに、大姫君の、かく田舎人になられたりける、あはれに心憂くこそ。 ===== 翻刻 ===== いまはむかしたけのたいふといふもののひたち よりのほりてうれへするころむかひにゑち せむのかみといふ人のもとにきやくすしけり この越前の守ははくのははとてよにめてたき 人うたよみのおや也めは伊勢大輔ひめ君たちあ またあるへしたけのたいふつれつれにおほゆ/b63 e31 れはちやうもむにまいりたりけるにみすをかせ のふきあけたるになへてならすうつくしき 人のくれなゐのひとへかさねきたるをみる よりこの人をめにせはやといりもみ思けれ はそのいゑのうへわらはをかたらひてとひきけは おほひめ御前のくれなゐはたてまつりたる とかたりけれはそれにかたらひつきて我に ぬすませよといふに思ひかけすえせしと いひけれはさはそのめのとをしらせよといひけれはそれはさも申してむとてしらせて けりさていみしくかたらひてかね百両とら/b64 e32 せなとしてこのひめ君をぬすませよとせめいひ けれはさるへき契にや有けむぬすませてけり やかてめのとうちくしてひたちへいそきくたりに けりあとになきかなしめとかひもなしほとへて めのとをとつれたりあさましく心うしとおもへ ともいふかひなき事なれはときときうちおとつ れてすきけりはくのははひたちへかくいひやり たまふ にほひきや宮このはなはあつまちに こちのかへしのかせにつけしは/b65 e32 かへしあね ふきかへすこちのかへしは身にしみき 宮このはなのしるへとおもふに とし月へたたりてはくの母ひたちのかみのめに てくたりけるにあねはうせにけりむ すめふたりありけるかかくとききてまいりた りけりゐ中人ともみえすいみしくしめ やかにはつかしけによかりけりひたちの かみのうへをむかしの人ににさせ給たりける とていみしくなきあひたりけり四年かあひた/b66 e33 みやうもむにも思ひたらすえうしなともいは さりけりにむはててのほらるるをりにひたち のかみむけなりけるものともかなかくなむの ほるといひにやれとをとこにいはれてはくの ははのほるよしいひやりたりけれはうけ給 はりぬまいり候はむとてあさてのほらむとてのひ まいりたりけりえもいはぬむまの一をたからにする ほとのむま十疋つつふたりしてまたかはこおほ せたるむまも百疋つつふたりしてたてまつり たりなにとも思ひたらすかはかりの事したり/b67 e33 ともおもはすうちたてまつりて帰にけりひた ちのかみのありけるひたち四年かあひたの物 はなにならすそのかはこの物ともしてこそよろ つのくとくもなに事もしたまひけれ ゆゆしかりけるものともの心のおほきさひろさ かなとかたられけるとそこの伊勢大輔しそ んはめてたきさいはひ人おほくいてき給 たるにおほひめ君のかくゐ中人に なられたりけるあはれにこころうく こそ/b68 e35