古本説話集 ====== 第8話 御荒の宣旨、歌の事 ====== ** 御荒宣旨哥事 ** ** 御荒の宣旨、歌の事 ** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、御荒(みあれ)の宣旨といふ人は、優にやさしく、かたちもめでたかりけり。皇太后宮((藤原妍子))の女房なり。中納言定頼((藤原定頼))、文おこせ給ふ。   昼は蝉夜は蛍に身をなして鳴き暮らしては燃えや明かさん さやうにて通ひ給ふほどに、心少し変はり、絶え間がちなり。 はるばると野中に見ゆる忘れ水絶え間絶え間を嘆くころかな 中納言、見目よりはじめ、何事にも優れてめでたくおはするを、心ある人は見知りて、嘆かし秋の夕暮れ、きりぎりすいたく鳴きけるを、「長き思ひは」など、ながめ給ひけるを、忘れがたき事に言ひためり。 絶え給ひて後、賀茂に参り給ふと聞きて、「今一度も見む」と思ひて、心にもあらぬ賀茂参りして、   よそにても見るに心はなぐさまで立ちこそまされ賀茂の川波 とても、涙のみいとどこぼれまさりて、大方うつし心もなくぞ思えける。 蝉の鳴くを聞きて、   恋しさをしのびもあへぬうつせみの現(うつ)し心もなくなりにけり 「をのづから嘆きや晴るる」とて、中納言には劣れども、無下ならぬ人に、親しき人心合はせて盗ませてけり。それをまた、いたう嘆きて、   身を捨てて心は無きになりにしをいかでとまれる思ひなるらん   世を代へてこころみれども山の端につきせぬものは恋にぞ有りける ただ中納言をのみ恋ひ嘆きて、「いかに罪深かりけむ」と思ふに、貴くめでたき法師子を持ちて、山に置かれたりけるぞ、「罪少し軽るみにけむかし」とはおぼゆれ。 >御堂の中姫君((藤原妍子))、三条院の御時の后、皇太后宮と申したるが女房なり。大和の宣旨とも申しけり。世にいみじき色好みは本院の侍従・御荒の宣旨と申したる。侍従は、はるか昔の平中((平貞文))が世の人。この御形の宣旨は中ごろの人。されば、昔今の人を一手に具して申したるなり。((「御堂の中姫君」以下、底本二字下げ。注記の扱い。)) ===== 翻刻 ===== いまはむかしみあれの宣旨といふ人はいふにやさ しくかたちもめてたかりけり皇太后宮の女房 也中納言定頼ふみをこせ給 ひるはせみよるはほたるに身をなして なきくらしてはもえやあかさん さやうにてかよひたまふほとに心すこしかはりたえ/b43 e21 まかちなり はるはると野中にみゆるわすれみつ たえまたえまをなけくころかな 中納言みめよりはしめなに事にもすくれてめて たくおはするを心ある人はみしりてなけかし あきの夕くれきりきりすいたくなきけるをなかき 思ひはなとなかめ給けるをわすれかたき事に いひためりたえ給てのち賀茂にまいり給と ききていま一度もみむとおもひて心にもあら ぬかもまいりして/b44 e22 よそにてもみるにこころはなくさまて たちこそまされかものかはなみ とてもなみたのみいととこほれまさりておほ方う つし心もなくそおほえけるせみのなくをききて こひしさをしのひもあえぬうつせみの うつし心もなく成にけり をのつからなけきやはるるとて中納言にはおとれとも 無下ならぬ人にしたしき人心あはせてぬす ませてけりそれをまたいたうなけきて みをすててこころはなきになりにしを/b45 e22 いかてとまれる思ひなるらん よをかへてこころみれとも山のはに つきせぬものはこひにそ有ける たた中納言をのみこひなけきていかにつみふかか りけむとおもふにたうとくめてたき法師子を もちて山におかれたりけるそつみすこしかるみ にけむかしとはおほゆれ 御堂のなかひめ君三条院の御ときのきさき 皇太后宮と申たるか女房也山との宣旨 とも申けりよにいみしき色このみは本院の/b46 e23 侍従みあれの宣旨と申たる侍従ははる かむかしの平仲か世の人この御あれの 宣旨はなかころの人されはむかしいまの人を ひとてにくして申たる也/b47 e23