古本説話集 ====== 第5話 赤染衛門の事 ====== **赤染衛門事** **赤染衛門の事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、赤染衛門といふ歌詠みは、時望((赤染時用))といひけるが女(むすめ)、入道殿((藤原道長))に候ひけるが、心ならず匡衡((大江匡衡))を男にして、いと若き博士にてありけるを、事にふれて、のがひ、厭ひ、あらじとしけれど、男はあやにくに心ざし深くなりゆく。殿の御供に住吉へ参りて詠みて起こせたる。   恋しきに難波の事もおぼほえず誰住吉のまつといひけん 返事   名を聞くに長居しぬべき住吉のまつとはまさる人やいひけむ 会ふ事の有難かりければ、思ひわびて稲荷の神主のもとへ通ひなどしけれど、心にも入らざりけり。「すぎむらならば」など詠みたるは、そのをりの事なるべし。 匡衡、尾張の守などになりにければ、猛(まう)になりて、え厭ひも果てず、挙周(たかちか)((大江挙周))なと産みてければ、幸い人といはれけり。 尾張へ具して下る道にて、守一人ごつ。   十日の国に至りてしがな 赤染、   宮こ出でて今日九日になりにけり 挙周、望む事有けるに。申文の奥に書きて、鷹司殿((藤原道長室源倫子))へ参らせたる   思へ君頭の雪を払ひつつ消えぬ先にと急ぐ心を 入道殿((藤原道長))、御覧じて、いみしくあはれがらせ給ひて、和泉には急ぎなさせ給たりけるとぞ。 和泉へ下る道にて、挙周、例ならず大事にて、限りになりたりければ、   替はらむと思ふ命は惜しからでさても別れむ程ぞ悲しき   頼みては久しく成りぬ住吉のまつこのたびのしるし見せなむ と書きて、住吉に参らせたりけるままに、挙周、心地さはさはと止みにけり。その後、めでたき事に、世に言ひののしりけり。 ===== 翻刻 ===== いまはむかし赤染衛門といふうたよみは時もちと いひけるかむすめ入道殿に候けるか心ならす まさひらをおとこにしていとわかきはかせにて ありけるをことにふれてのかひいとひあらしと しけれとおとこはあやにくに心さしふかく成ゆく 殿ゝ御ともに住吉へまいりてよみてをこせたる こひしきに難波の事もおほほえす たれすみよしのまつといひけん 返事 なをきくになかゐしぬへきすみよしの/b34 e17 まつとはまさる人やいひけむ あふ事の有かたかりけれは思ひわひていなひ の神主のもとへかよひなとしけれと心にもいら さりけりすきむらならはなとよみたるはその をりの事なるへしまさひらをはりのかみなと になりにけれはまうになりてえいとひもはてす たかちかなとうみてけれはさいわい人といはれけ りおはりへくしてくたるみちにてかみひとりこつ とうかのくににいたりてしかな あかそめ/b35 e17 宮こいててけふここぬかになりにけり たかちかのそむ事有けるに申文の おくにかきてたかつかさとのへまいらせたる おもへきみかしらのゆきをはらひつつ きえぬさきにといそく心を 入道との御らむしていみしくあはれからせ給て いつみにはいそきなさせ給たりけるとそいつ みへくたるみちにてたかちかれいならす大事にて かきりになりたりけれは かはらむとおもふいのちはをしからて/b36 e18 さてもわかれむほとそかなしき たのみてはひさしく成ぬすみよしの まつこのたひのしるしみせなむ とかきてすみよしにまいらせたりけるままに たかちか心ちさはさはとやみにけりそののちめてたき 事に世にいひののしりけり/b37 e18