古本説話集 ====== 第1話 大斎院の事 ====== **大斎院事** **大斎院の事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、大斎院((選子内親王))と申すは、村上((村上天皇))の十の宮におはします。御門のあまたたびたび替らせ給へど、この斎院は動きなくておはしましけり。 斎宮・斎院は仏経忌ませ給ふに、この斎院は仏経をさへあがめ申させ給ひて、朝ごとの御念誦欠かせ給はず。三尺の阿弥陀仏に向かひ参らせさせ給ひて、法華経を明け暮れ読ませ給けりと、人申し伝へたり。賀茂祭の日、「一条の大路に、そこら集まりたる人、さながら共に仏にならん」と誓はせ給ひけるこそ、なほあさましく。 さて、この世の御栄華をととのへさせ給はぬかは。御禊より始め、三日の作法、出車なとのめでたさは、御心ざま、御有さま、大方優にらうらうしくおはしましたるぞかし。宇治殿((藤原頼通))の兵衛佐にて、御禊の御前せさせ給ひけるに、いと幼なくおはしませば、例は本院に帰らせ給ひて、人々に禄など賜はするを、これは河原より出でさせ給ひしかば、思ひかけぬ事にて、さる御心まうけもなかりければ、御前に召し有りて、御対面せさせ給ひて、奉りたりける御小袿をぞかづけ奉らせ給ひける。 入道殿((藤原道長))、聞かせ給ひて、「いとをかしくもし給へるかな。禄なからんも便なく、取りにやりたらむも程経ぬべければ、とりわき給へる様を見せ給へるなり。えせ物は、え思ひよらじかし」とぞ、殿は申させ給ひける。 後一条院((後一条天皇))・後朱雀院((後朱雀天皇))、まだ宮たちにて幼なくおはしましけるとき、祭見せ奉らせ給ひけるに、御座敷の前過ぎさせ給ふほど、殿の御膝にふたところながら据ゑ奉らせ給ひて、「この宮たち見奉らせ給へ」と申させ給へば、御輿の帷子(かたびら)より赤色の御扇のつまをこそさし出ださせ給ひたりけれ。殿をはじめまゐらせて、「なを心ばせめでたくおはする院なりや。かかるしるしを見せさせ給はずは、いかでか見たてまつらせ給ふとも知らまし」とぞ、感じ奉らせ給ひける。 院より大殿に聞こえさせ給ひける   光出づるあふひのかげを見てしかば年経にけるもうれしかりけり 御返   もろかづらふた葉ながらも君にかくあふひや神のしるしなるらん めでたく、心にくく、をかしくおはしませば、上達部、殿上人、絶えずまゐり給へば、たゆみなく、うちとけずのみありければ、「斎院ばかりのところはなし」と、よにはづかしく心にくき事に申しつつ参り合ひたりけるに、世もむげに末になり院の御歳もいたく老させ給ひにたれば、今はことに参る人もなし。 人も参らねば、院の御有様もうちとけにたらん、若く盛りなりし人々も、みな老い失せもていぬらん、心にくからで参る人もなきに、後一条院御時に、雲林院不断の念仏は九月十日のほどなれば、殿上人、四五人ばかり、果ての夜、月のえもいはず明かきに、「念仏にあひに」とて、雲林院に行きて丑の時ばかりに帰るに、斎院の東の御門の細目に開きたれば、そのころの殿上人、蔵人は斎院の中もはかばかしく見ず、知らねば、「かかるついでに院の中、みそかに見む」といひて入りぬ。 夜の更けにたれば人影もせず。東の塀の戸より入りて、東の対の北表の軒にみそかに居て見れば、御前の前栽、心にまかせて高く生ひ茂りたり。「つくろふ人も無きにや」とあはれに見ゆ。露は月の光に照らされてきらめきわたり、虫の声々様々に聞こゆ。遣水の音のどやかに流れたり。そのほど、つゆ訪ずる人なし。 船岡ののおろしの風、冷やかに吹きたれば、御前の御簾の少しうち揺ぐにつけて、薫物(たきもの)の香のえもいはず香ばしく、冷ややかに匂ひ出でたる香を、かくに御格子は下されたらんに、薫物の匂ひのはなやかなれば、「いかなるにかあらむ」と思ひて見やれば、風に吹かれて御几帳少し見ゆ。御格子もいまだ下ろさぬなりけり。「月御覧ずとて、おはしましけるままにや」とおもふほどに、奥深き箏の琴の、平調に調(しら)められたる音(こゑ)の、ほのかに聞こゆるに、「さは、かかる事も世にはあるなりけり」と、あさましく思ゆ。 よきほどに調められて、音もせずなりぬれば、「今は内裏(うち)へ帰り参りなん」と思ふほどに、人々の言ふやう「かくおかしくめでたき御有様を、『人聞きけり』とおぼしめされん料に知らればや」など言へば、「げに、さもあることなり」とて、寝殿の丑寅の隅の妻戸には、人の参りて女房にあひてもの言ふ所なり、住吉の姫君の物語のさうし、そこには立てられたる。そなたに、人二人ばかり歩み寄りて気色ばめば、かねてより女房二人ばかり、物語して出でたりけり。殿上人、女房、起きたらむとも知らぬに、かく居たれば、思ひかけず覚ゆ。女房は夜より物語して、月の明かかりければ、「居あかさむ」と思ひてゐたるに、かく思ひかけぬ人の参りたれば、いみじくあはれに思ひたるに、気色ばかり奥の方に、碁石笥に碁石を入るる音す。御前にも昔思し召し出でて、あはれに思しけむかし。 昔の殿上人は常に参りつつ、をかしき遊びなど琴・琵琶も常に弾きけるを、今はさやうの事する人も無ければ、参る人もなし。たまたま参れど、さやうの事する人もなきを、口惜しく思し召されけるに、今宵の月の明かければ、昔思し出でられて、ものあはれによろづにながめさせ給ひて、御物語などして、御殿籠らざりけるに、夜いたう更けにたれば、物語しつる人々も、御前にやがてうたたねに寝にけり。わが御めは覚めさせ給ひたりければ、御琴を手すさみに調めさせ給ひたりけるほどに、かく人々参りたれば、昔思えてなむあはれに思し召しける。 「この人々は、かやうのわざ少しす」と聞こしめしたるにやあらん、御琴・琵琶など出ださせ給へれば、わざとにはなくて、調(しら)めあはせつつ、もの一二(ひとつふたつ)ばかりづつ弾きて、夜明け方になりぬれば、内裏(うち)へ帰り参りぬ。殿上にて、あはれにやさしく面白かりつるよしを語れば、参らぬ人はいみじく口惜しかりけり。 さて、その年の冬、をりさせ給ひて、室町なる所におはしまして、三井寺にて尼にならせ給ひにける後は、ひとへに御行(をこな)ひをせさせ給ひつつ、終りいみじくめでたく、貴くてなむ失せさせ給ひにける。 「『この世はめでたく、心にくく、優にて過ぎさせ給へるに、後の世いかが』と思ひ参らせしに、ひたぶるに御行ひたゆみなくせさせ給ひて、御有様あらはに、極楽疑ひなく、めでたくて失せさせ給ひしかば、『一定極楽へ参らせ給ひぬらん』となむ、入道の中将((源成信))よろこび給ひし」と語り給ひし。 ===== 翻刻 ===== いまはむかし大斎院と申は村上の十の宮に おはします。みかとのあまたたひたひかはらせ 給へとこの斎院はうこきなくておはしまし けり。さい宮斎院は仏経いませたまふにこの 斎院は仏経をさへあかめ申させたまひて あさことの御念誦かかせたまはす。三尺の阿弥陀 ほとけにむかひまいらせさせたまひて法華経 をあけくれよませ給けりと人申つたへたり。 賀茂祭の日一条のおほちにそこらあつま りたる人さなからともにほとけにならんとちか/b13 e6 はせ給けるこそなをあさましくさてこの世の 御ゑいくわをととのへさせたまぬかは。御禊より はしめ三日の作法いたしくるまなとのめてたさ は御心さま御有さまおほ方いふにらうらうし くをはしましたるそかし。宇治殿の兵衛佐に て御禊の御せむせさせたまひけるにいと おさなくおはしませはれいは本院にかへらせ給て ひとひとに禄なとたまはするをこれはかはらより いてさせたまひしかはおもひかけぬ事にて さる御心まうけもなかりけれは御前にめし有て/b14 e6 御たいめむせさせたまひてたてまつりたりける 御こうちきをそかつけたてまつらせ給ける入道 殿きかせ給ていとをかしくもし給へるかな禄な からんもひむなくとりにやりたらむもほとへぬへ けれはとりわき給へるさまをみせたまへる也 えせ物はえ思ひよらしかしとそとのは申させ たまひける後一条院後朱雀院またみやたちに てをさなくおはしましけるときまつりみせたてまつ らせ給けるに御さしきの前すきさせ給ほと とのの御ひさにふたところなからすゑたてまつらせ/b15 e7 給てこの宮たち見たてまつらせ給へと申させ たまへは御こしのかたひらよりあか色の御あふき のつまをこそさしいたさせ給たりけれとのをはし めまいらせてなを心はせめてたくおはする院なり やかかるしるしをみせさせたまはすはいかてか みたてまつらせたまふともしらましとそかむし たてまつらせ給ける院よりおほとのにきこえさせ 給ける ひかりいつるあふひのかけをみてしかは としへにけるもうれしかりけり/b16 e8 御返 もろかつらふた葉なからもきみにかく あふひや神のしるしなるらん めてたく心にくくをかしくおはしませは上達部 殿上人たえすまいりたまへはたゆみなくう ちとけすのみありけれはさい院はかりのところは なしとよにはつかしく心にくき事に申つつ まいりあひたりけるによもむけにすゑに なり院の御としもいたく老させたまひに たれはいまはことにまいるひともなし人も/b17 e8 まいらねば院の御有さまもうちとけにたらん わかくさかりなりし人々もみな老うせもていぬ らん心にくからてまいるひともなきに後一条院 御ときに雲林院不断の念仏は九月十日 のほとなれは殿上人四五人はかりはての夜月の えもいはすあかきに念仏にあひにとて雲 林院にゆきてうしのときはかりにかへるに 斎院のひむかしのみかとのほそめにあきた れはそのころの殿上人蔵人は斎院の中も はかはかしくみすしらねはかかるついてに院の/b18 e9 うちみそかにみむといひていりぬ夜のふけに たれはひとかけもせすひむかしのへいのとより いりてひむかしのたいのきたをもてののきに みそかにゐてみれは御前のせむさい心にま かせてたかくおいしけりたりつくろふ人も なきにやとあはれにみゆ露は月の光にてら されてきらめきわたりむしのこゑこゑさまさま にきこゆやりみつのをとのとやかになかれたり そのほと露をとするひとなしふなをかのおろ しのかせひややかにふきたれは御前のみすの/b19 e9 すこしうちゆるくにつけてたき物のかのえ もいはすかうはしくひややかににほひいてたるかを かくにみかうしはおろされたらんにたき物のにほ ひのはなやかなれはいかなるにかあらむとおもひて みやれはかせにふかれて御きちやうすこし みゆみかうしもいまたおろさぬなりけり 月御らむすとておはしましけるままにや とおもふほとにおくふかきさうのことのひやうでう にしらめられたるこゑのほのかにきこゆる にさはかかる事もよにはあるなりけりとあさま/b20 e10 しくおほゆよきほとにしらめられてをともせ すなりぬれはいまはうちへかへりまいりなんと思ふほと に人々のいふ様かくおかしくめてたき御有さま をひとききけりとおほしめされんれうにしら れはやなといへはけにさもある事也とてしむ殿の うしとらのすみのつまとには人のまいりて女房に あひてものいふ所也すみよしのひめ君のものかた りのさうしそこにはたてられたるそなたに 人ふたりはかりあゆみよりてけしきはめば かねてより女房ふたり許ものかたりしてゐて/b21 e10 たりけり殿上人女房おきたらむともしらぬに かくゐたれはおもひかけすおほゆ女房はよる よりものかたりして月のあかかりけれはゐあか さむとおもひてゐたるにかくおもひかけぬ 人のまいりたれはいみしくあはれに思たる にけしきはかりおくの方にこいしけにこいしをいるる おとす御前にもむかしおほしめしいててあはれにお ほしけむかしむかしの殿上人はつねにまいり つつをかしきあそひなとことひはもつねにひきける をいまはさやうの事する人もなけれはま/b22 e11 いる人もなしたまたままいれとさやうの事 するひともなきをくちをしくおほしめされけ るにこよひの月のあかけれはむかしおほし いてられてものあはれによろつになかめさせ給て 御ものかたりなとして御とのこもらさりけるに 夜いたうふけにたれはものかたりしつる人々も 御前にやかてうたたねにねにけり。わか御めはさめ させ給たりけれは御ことをてすさみにしらめさせ 給たりけるほとにかく人々まいりたれはむかし おほえてなむあはれにおほしめしけるこの/b23 e11 人々はかやうのわさすこしすときこしめしたる にやあらん御ことひはなといたさせ給へれはわさとに はなくてしらめあはせつつもの一ふたつはかり つつひきてよあけ方になりぬれはうちへ帰ま いりぬ殿上にてあはれにやさしくおもしろかり つるよしをかたれはまいらぬ人はいみしく くちをしかりけり。さてそのとしのふゆをりさせ 給てむろまちなる所におはしまして三井寺 にてあまにならせ給にけるのちはひとへに 御をこなひをせさせ給つつおはりいみしくめて/b24 e12 たくたうとくてなむうせさせ給にけるこの世 はめてたく心にくくいふにてすきさせ給へるに のちのよいかかと思ひまいらせしにひたふるに 御をこなひたゆみなくせさせたまひて御有さま あらはに極楽うたかひなくめてたくてうせさせ たまひしかは一定極楽へまいらせ給ぬらん となむ入道の中将よろこひ給しとかたり給し b25 e12