唐物語 ====== 第16話 同じ御門誰とは申しながら・・・(武帝・東方朔・西王母) ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、同じ御門((漢の武帝のこと。[[m_kara015|前話]]参照))、誰((清水浜臣本の「誰も」が正しいか))とは申しながら、限りなくこの世を惜しみ、命ながらへんことを願ひ給ひけり。幻(まぼろし)と聞こゆる仙人に仰せて、蓬莱不死の薬取りに遣はしつつ、はかなき御遊び・戯れにも、この世にながらへておはせんことをぞ、いとなみ給ひける。 おほよそ人の好み願ふことは、必ずむなしからねば、この御時、東方朔といふ人、仙宮より罪犯して、暫く人間に下されたりけるを、御門、間近く召し使ひて、よろづおぼつかなく思されけることをば、まづこの人にぞ問はせ給ひける。 かかるほどに、宮の内に、色黄なる雀の例の色にも似ずあやしきさましたる、飛び遊びけるを、御門、「日ごろかかる鳥見えず。いかなることにか」と問ひ給ふに、東方朔、申していはく、「君、長生不死の道を好み給ふにより、御心にめでて、『西王母と申す仙女、参りて遊び奉らん』と告げ知らする由(よし)の使ひなり」と聞こえさするに、御門((底本「帝」))、嬉しく思さるること限りなし。「いかなる有様にて、その人を待つべきぞ」とのたまはするに、「宮の内静かにて、庭の面(おも)を浄め、香を焚き、様々の床(ゆか)を設(まう)け給ふべし」と申しけり。 かくて、頼めしほどにもなりぬれば、御門((底本「帝」))、御心すみやきつつ、床のもとに、東方朔を隠し置きて、人知れず、「今や、今や」と待たせ給ふに、秋八月ばかり、月の光くまなき夜、香ばしき風うち吹きて、晴の空のどかなるに、紫の雲一群(ひとむら)たなびきけり。その中より、この世ならず目もあやなる人、百人ばかり降り下れり。 そのうちに主(あるじ)と思しき人、御門に会ひ奉りて、様々のことどもを聞こえさす。やや久しくなるほどに、この人、桃七を取り出だして、その三をば御門に奉らせ給へり。これを御口に触れ給ひけるより、御身も軽く御心地も涼しくならせ給ひて、空にも飛び昇りぬべく、生死・罪障も解けぬべくや思しけん、「この桃、我園に移し植ゑて種をも取りてしがな」とのたまひけるに、西王母うち笑ひて、「天上の木(こ)の実の、人間に留まり難くや」となん言ふにも、足らずげに思せり。 また、「不死の薬や侍る」と尋ねさせ給ふにも、「生老病死の下界に生まれ給ひながら、いかでか不死の薬を求めさせ給ふべき。はかなき御心なり」と聞こえさす。西王母のみにあらず。かひなき愚かなる心にも、昔のかしこきひじりの御門の御言葉とは思えず。 かくて、しばしばかりあるに、上元夫人に雲環(うんくわん)の瑟(しつ)打たせて、挙妃𤧶(きょひか)((「か」は王へん+夏))と聞こゆる仙人舞ひけり。玉(たま)の簪(かんざし)を動かし、錦の袖を翻すありさま、廻(めぐ)れる雪にことならず。御門、これを見給ふに、思ほえず御袖濡れにけり。この世の楽(がく)の声は物の数ならず思え給ひけるより、御心もいたくあくがれぬ。 夜、やうやう明け方になるほどに、「その御床下(ゆかした)に隠れ居て侍りける東方朔は、仙宮の人なり。しかも、かの三千年(みちとせ)に一度(ひとたび)なる桃を三度(みたび)まで盗める罪によりて、しばらく人間に下されたる。咎(とが)を贖(あか)ひて後は、また天上に返り来たるべきなり」とのたまひて、紫の雲立ち返りぬ。   紫の雲立ち返り行きしより心は空にあくがれにけり この後は、いとど御心も空にあくがれて、いよいよ仙を願ひ給ひけり。 唐国(からくに)の習ひにて、かしこき御門には仙人なども皆使はれ奉るにこそ。はかなくならせ給ひて後も、御身は留まらせ給はざりけるとかや。 ===== 翻刻 ===== むかしおなし御門たれとは申なからかきり なくこのよをおしみいのちなからへん事 をねかひ給けりまほろしときこゆる仙人に おほせて蓬莱不死のくすりとりにつか はしつつはかなき御あそひたはふれにもこの 世になからへておはせん事をそいとなみ給 けるおほよそ人のこのみねかふことはかならす むなしからねはこの御時東方朔といふ人仙宮より つみををかしてしはらく人間にくたされたり けるを御門まちかくめしつかひてよろつおほ/m345 つかなくおほされける事をはまつこの人にそ とはせ給けるかかる程に宮のうちにいろ黄なる すすめのれいの色にもにすあやしきさまし たるとひあそひけるを御門ひころかかる鳥 みえすいかなる事にかととひ給に東方朔申て いはく君長生不死のみちをこのみ給により 御心にめてて西王母と申す仙女まいりてあそ ひたてまつらんとつけしらするよしのつ かひ也ときこえさするに帝うれしくおほさ るる事かきりなしいかなるありさまにてそ/m346 の人をまつへきそとのたまはするに宮のうち しつかにてにはのおもをきよめ香をたきさ まさまのゆかをまうけ給へしと申けりかくて たのめしほとにもなりぬれは帝御心すみやき つつゆかのもとに東方朔をかくしをきてひと しれすいまやいまやとまたせ給に秋八月はかり 月のひかりくまなきよかうはしき風うち ふきてはれのそらのとかなるにむらさ きの雲ひとむらたなひきけりそのなか よりこの世ならすめもあやなる人百人/m347 はかりおりくたれりそのうちにあるし とおほしき人御門にあひたてまつりてさ まさまのことともをきこえさすややひさしく なる程にこのひともも七をとりいたしてそ の三をは御門にたてまつらせ給へりこれを御 くちにふれ給けるより御身もかろく御心地 もすすしくならせ給てそらにもとひ のほりぬへく生死罪障もとけぬへくやお ほしけんこのもも我そのにうつしうへてた ねをもとりてしかなとの給けるに西王母/m348 うちわらひて天上のこのみの人間にととまり かたくやとなんいふにもたらすけにおほ せり又ふしのくすりや侍とたつねさせ 給にも生老病死の下界にむまれ給なか らいかてかふしのくすりをもとめさせ 給へきはかなき御心なりときこえさす 西王母のみにあらすかひなきをろかなる心 にもむかしのかしこきひしりの御門の 御こと葉とはおほえすかくてしはしはかり あるに上元夫人に雲環(ウンクワン)の瑟(シツ)うたせて/m349 挙妃𤧶(キョヒカ)ときこゆる仙人まひけりたまの かんさしをうこかしにしきの袖をひるかへ すありさまめくれる雪にことならす御 門これを見たまふにおもほえす御袖ぬ れにけりこの世のかくのこゑは物のかすな らすおほえ給けるより御心もいたくあく かれぬよやうやうあけかたになる程にその 御ゆかしたにかくれゐて侍ける東方朔 は仙宮の人なりしかもかのみちとせにひと たひなるももをみたひまてぬすめるつみ/m350 によりてしはらく人間にくたされたると かをあかひてのちは又天上にかへりきたるへき なりとの給てむらさきの雲たちかへりぬ むらさきのくもたちかへり行しより 心はそらにあくかれにけり この後はいとと御心もそらにあくかれていよいよ 仙をねかひたまひけりからくにのならひ にてかしこき御門には仙人なともみな つかはれたてまつるにこそはかなくならせ 給て後も御身はととまらせたまはさりける/m351 とかや/m352