閑居友 ====== 上第13話 高野の聖の、山がらに依りて心を発す事 ====== ** かう野のひしりの山からによりて心おおこす事 ** ** 高野の聖の、山がらに依りて心を発す事 ** ===== 校訂本文 ===== 中ごろ、高野に南筑紫(みなみつくし)といふ往生人ありけり。筑紫の者の二人、高野に住みて、北南に住処(すみか)をかまへて侍りければ、時の人、「南筑紫」・「北筑紫」と言ひけるなるべし。この南筑紫は、日に一合の御料(ごれう)を食ひて、さらにその他の物も食はずありければ、痩せ衰へてぞ侍りける。 ある時、さるべき人々集まりて、「なじかはかくばかり身をいましめ給ふべき。仏は御法(みのり)を習ひ行ふをこそ、本意(ほい)とは仰せられためれ。ただ、物など多からぬほどに食ひ、勤めをもよくしておはせかし」と言ひければ、聖の言ふやう、「昔の心の発(おこ)り侍りしころ、好みて聴聞をし侍りしに、尊き聖の法説(のりと)き給ひしを聞きしかば、『昔、かしこき人ありき。いまた家にありけるとき、いみじく小鳥を愛して飼ひけるが、一籠(こ)に山雀(やまがら)二つ入れたりけるに、一つの山雀は、物も食はで、つねには籠のはらに付きて、籠の目より出でんとのみして、痩せ細りて、水をだにも多くは飲まで、出でむとする営みの他、さらに異(こと)わざなし。いま一つの山雀、物いみじく食ひて、勇み誇れり。身も肥え太りてぞありける。さるほどに、この痩せたる山雀、いたく身も細りて、いかがしたりけん、籠の目より抜け出でて、飛びて去りぬ。これを見て、その主(あるじ)の男、『されば、うき世を出でんと営まむ人も、さるべきにこそ侍るめれ。つねにうちしめりて、高き咲(ゑわら)ひもせず、心思ひに物なども食はでこそ、あるべかめれ』と悟りて、やがて頭剃(かしらおろ)して、いみじく行ひて侍り』と説き給ひしを聞きしが、いみじく身にしみて、『我、もし出家の心ざしを遂げたらば、さらむよ』と思ひ初めし後、今はや、あまたの年を送り侍りぬ。我、ものいみじく食ひて力ありとても、何の行ひをかし侍るべき。あやまりて怠りぞ出で来侍るべき。はや、ゆるぎなく思ひかためてしことなれば、いかにのたまはすとも従ふまじきなり」とぞ答(いら)へける。さて、人々も涙を落して、言ふこともなくなりにけりとなん。 この事を聞きしより、深く身にしみて忘るる時なし。かの山雀のいにしへも、ことにあはれに偲ばしく侍り。されば、仏は、あるいは「三口食へ」とも教へ給ふ。あるいは、「五口食へ」とも仰せられたり。また、舎利弗は、「五口六口食ひて、これをたすには水をもてせよ」と言へり。されば、龍樹菩薩は、「身を益して、馬を養ふがごとくはすべからず」と説き給ひて、天台大師((底本「台」に「タイ」と傍書。))は、「食の法たることは、もと身をたすけて路に進まさむがためなり」と説き給へり。これらの教へを聞かずして、おのづから山雀のゆゑに悟りを発(をこ)しけん心、げにありがたく侍るべし。また、伝へ聞きて、「げに」と身にしみけん人も、かしこき心なり。 つらつら思ひ続くれば、この一盛りの食ひ物は、数もなき労(わづら)ひより来たれるにはあらずや。春の日の長きに、山田を返す賤(しづ)の男(お)の、引くしめ縄のうちはへて営み立つる労ひ、驚かす鳴子の山田の原の仮庵(かりいほ)。霜冴ゆるまでたしなみて、晩稲(おしね)を積める営み、あるひは、上れば下る稲舟(いなふね)に、水馴れ竿差しわび、あるいは逢坂山のはげしきに、脚を早むる駒もあり。また、手づから追ひ、みづから担へる営み。その数いくそばくぞや。いかにいはんや、山人の、ねるやねりその手もたゆく、力をつくせる薪(たきぎ)にてこれを営み、月の夜ごろは寝(い)ねもせず、からく営める塩竈の行方(ゆくゑ)などを思ふに、涙もとどまらす思えて、「我、これを食ひて、今日、その経その伝を開きて、聊((底本「イササカ」と傍書))心を発(おこ)しつ。この功徳をば、あまねく分かちて、この営みの人々に施す」など思ひ居て侍るぞかし。 しかあるに、憚りなくいたはりなく、いみじく多く食ひて、しはてには、こぼし散らしなどせんこと、その罪いかばかりぞや。願はくは、帳の外(ほか)を出でず、褥(しとね)の上を下らず、いまそからんあたりまで、げにと思しとがめさせ給はば、功徳にや侍る。 されば、唐土(もろこし)には、いかなる者の姫君も、食ひ物などしどけなげに食ひ散らしなどは、ゆめゆめせず。世にうたてきことになん、申し侍りしなり。この国は、いかに習はしたりけることやらん、はや癖になりにたれば、改めがたかるべし。ただ、かなひぬべからんほどを、御慎みもあれかし。 仏の、「この一粒(りう)の米(よね)を思ひはかるに、百の功を用ゐたり」と仰せられ、龍樹菩薩の、「これをはかり思ふに、食は少なけれども汗は多し」とのたまへる、あはれにこそ侍れ。 ===== 翻刻 ===== 中比高野にみなみつくしといふ往生人ありけり つくしのもののふたりかうやにすみて北南にすみ かをかまゑて侍けれは時の人南つくし北つくしと/上37ウb82 いひけるなるへしこの南つくしは日に一合のこれ うをくひてさらにそのほかのものもくはすありけ れはやせをとろえてそ侍けるあるときさるへき人々 あつまりてなしかはかくはかり身おいましめ給へ き仏はみのりをならひおこなふをこそほいとはお ほせられためれたた物なとおほからぬほとにくひつとめ をもよくしておはせかしといひけれは聖のいふやう 昔の心のおこり侍しころこのみてちやうもんお/上38オb83 し侍しにたうときひしりののりときたまひ しをききしかは昔かしこき人ありきいまたいゑに ありけるときいみしくことりおあひしてかひけ るか一こにやまから二いれたりけるに一のやまからは ものもくはてつねにはこのはらにつきてこのめよ りいてんとのみしてやせほそりて水おたにもおほく はのまていてむとするいとなみのほかさらにことわ さなしいま一の山からものいみしくくひていさみほこ/上38ウb84 れり身もこゑふとりてそありけるさるほとにこの やせたるやまからいたく身もほそりていかかし たりけんこのめよりぬけいててとひてさりぬ これをみてそのあるしのおとこされはうきよを いてんといとなまむ人もさるへきにこそ侍めれつねに うちしめりてたかきゑわらひもせす心おもひに物 なともくはてこそあるへかめれとさとりてやかてか しらおろしていみしくおこなひて侍と説/上39オb85 たまひしをききしかいみしく身にしみて我もし 出家の心さしをとけたらはさらむよと思ひそめし のちいまはやあまたのとしををくり侍ぬ我ものい みしくくひてちからありとてもなにのおこな ひをかし侍へきあやまりておこたりそいてき 侍へきはやゆるきなく思ひかためてし事なれは いかにのたまはすともしたかふましき也とそい らへけるさて人々もなみたおおとしていふ事も/上39ウb86 なくなりにけりとなんこの事をききしより ふかく身にしみてわするるときなしかのやま からのいにしへもことにあはれにしのはしく侍 されは仏は或は三口くへともおしへ給或は五口くへと もおほせられたりまた舎利弗は五口六口くひてこ れをたすには水おもてせよといへりされは龍樹 菩薩は身を益して馬をやしなふかことくはす へからすととき給て天台(タイ)大師は食の法たる事はも/上40オb87 と身をたすけて路にすすまさむかため也ととき たまへりこれらのおしへをきかすしておのつから やまからのゆへにさとりををこしけん心けにあり かたく侍へしまたつたへききてけにと身にしみ けん人もかしこき心也つらつらおもひつつくれはこ の一もりのくひものはかすもなきわつらひよりきた れるにはあらすや春のひのなかきに山田を返 すしつのおのひくしめなはのうちはへて/上40ウb88 いとなみたつるわつらひおとろかすなるこの山田の はらのかりいほしもさゆるまてたしなみておし ねをつめるいとなみ或はのほれはくたるいなふねに みなれさほさしわひ或はあふさか山のはけしき にあしをはやむるこまもあり又てつからおひみ つからになへるいとなみそのかすいくそはくそやいかに いはんや山人のねるやねりそのてもたゆくちから おつくせるたき木にてこれをいとなみ月の夜/上41オb89 ころはいねもせすからくいとなめるしほかまの ゆくゑなとをおもふになみたもととまらすおほえて 我これをくひてけふその経その伝をひらきて 聊(イササカ)心おおこしつこの功徳をはあまねくわかちて このいとなみの人々にほとこすなと思ひゐて侍そ かししかあるにははかりなくいたはりなくいみ しくおほくくひてしはてにはこほしちらし なとせん事そのつみいかはかりそやねかはくは帳の/上41ウb90 ほかをいてすしとねのうへおくたらすいまそからん あたりまてけにとおほしとかめさせたまはは功 徳にや侍されはもろこしにはいかなるもののひめ 君もくひものなとしとけなけにくひちらしなと はゆめゆめせすよにうたてき事になん申侍し也 この国はいかにならはしたりける事や覧はや くせになりにたれはあらためかたかるへしたたか なひぬへからんほとを御つつしみもあれかし/上42オb91 仏のこの一りうのよねを思はかるに百のこうを もちゐたりとおほせられ龍樹菩薩のこれをはかり おもふに食はすくなけれともあせはおほしとの たまへるあはれにこそ侍れ/上42ウb92