閑居友 ====== 上第7話 清水の橋の下の乞食の説法の事 ====== ** 清水のはしのしたの乞食の説法事 ** ** 清水の橋の下の乞食の説法の事 ** ===== 校訂本文 ===== 昔、清水の橋の下に薦(こも)にてあやしの家居せる者の、昼は市に出でてさかまたさかまたふりと言ふことを立てて、物を乞ひて世を渡るありけり。腰には薦のきれを巻きてぞありける。 かかるほどに、時の大臣なる人、いみじく心を致して仏事することありけり。導師(だうし)は時にとりて尊く聞こゆる人にてぞおはしける。このさかまたふりの僧、庭にたたずみて、ことの刻限をいみじくうかがひたりげに侍りければ、「さやうの乞食(こちしき)・片輪人などは、かやうの所には見へ来ることなればにこそ」など、人々は思ひけるほどに、既にことよくなりて侍りけるに、この僧、日ごろの姿にて、日隠しの間(ま)より歩み入りて高座に昇りにけり。「あれはいかに」と、「目もはつかなるわざかな」と怪しみ合ひたりけれど、「やうこそはあるらめ」とて、法要などして始まりにけり。 さて、説法言ひ知らずいみじく、「昔の富楼那尊者、形を隠して来たり給へる」など、言ひ扱ふほどに侍りけり。我もさめざめと泣きけり。この導師すべかりつる人も、雨しづくと泣きけり。御簾の中(うち)、庭のほとなどは、所せきほどにぞ侍りける。 さて、涙おしのごひて、高座より下り給ひければ、この主(あるじ)も、「対面せむ」と思ひ、人々もそのよし思ひけるほどに、下りはてければ、やかてれいのさかまたふり立てて、狂ひ出でて紛れにけり。その後は、「悪しきことしつ」とや思ひ給ひけん、かきくらし失せにけりとなん。「いかにも、ただ人にはあらざりけり」とぞ、人々も言ひ合ひたりける。げにただにはあらざりける人にこそ侍りけれ。 されば、止観の中には、「徳を隠さんと思はば、そら物狂ひをすべし」など侍るぞかし。「外(ほか)の振舞ひはもの騒がしきに形取りけめども、心の中(うち)はいかばかり諸法空寂の理(ことはり)に住しておはしけん」と、尊く侍り。 ===== 翻刻 ===== 昔清水のはしのしたにこもにてあやしの いゑゐせるもののひるはいちにいててさかまたふりと いふことをたててものをこひてよをわたるあり けりこしにはこものきれをまきてそありける かかるほとにときの大臣なる人いみしく心をいたして 仏事する事ありけりたうしは時にとりて/上21オb49 たうとくきこゆる人にてそおはしけるこのさか またふりのそうにはにたたすみて事のこく けんおいみしくうかかひたりけに侍けれはさやうの こちしきかたは人なとはかやうの所にはみへく る事なれはにこそなと人々は思けるほとにすてに事 よくなりて侍けるにこの僧日ころのすかたにて 日かくしのまよりあゆみいりてかうさにのほりに けりあれはいかにとめもはつかなるわさかなとあや/上21ウb50 しみあひたりけれとやうこそはあるらめとて ほうようなとしてはしまりにけりさて説法 いひしらすいみしく昔のふるな尊者かたちをかく してきたりたまへるなといひあつかふほとに 侍けり我もさめさめとなきけりこの道師すへかり つる人もあめしつくとなきけりみすのうちに はのほとなとは所せきほとにそ侍けるさてなみ たおしのこひてかうさよりおり給けれはこの/上22オb51 あるしもたいめんせむとおもひ人々もそのよし 思けるほとにおりはてけれはやかてれいのさかまた ふりたててくるひいててまきれにけりそ の後はあしき事しつとやおもひたまひけん かきくらしうせにけりとなんいかにもたた人には あらさりけりとそ人々もいひあひたりけるけにたた にはあらさりける人にこそ侍けれされは止観の中 には徳をかくさんとおもははそらものくるひをすへし/上22ウb52 なと侍そかしほかのふるまひはものさはかしきにか たとりけめとも心のうちはいかはかり諸法空寂の ことはりに住しておはしけんとたうとく侍り/上23オb53