閑居友 ====== 上第3話 玄賓僧都、門をさして善珠僧正を入れぬ事 ====== ** 玄賓僧都門おさして善珠僧正おいれぬ事 ** ** 玄賓僧都、門をさして善珠僧正を入れぬ事 ** ===== 校訂本文 ===== 昔、奈良の京、興福寺の僧にて、玄賓僧都といふ人おはしけり。智行ともにそなはりて、御門、僧都の位を授け給ひければ、歌を詠みて這ひ隠れにける   とつ国は山水(やまみづ)清しことしげき君か御代にはすまぬ増されり となん侍りける。ことにあはれにこそ侍れ。「とつ国」とは、「遠(とお)つ国」と言へるにこそ。まことに境隔たれる国の、人も通はで、いたづらに清き山水流れたる所、多く侍らんものをと、ことに身にしみて侍り。 さて、その心ざしを遂げ給ひける後の事なめり。御門の仰せにて、弘法大師の消息し給へる言葉にも、山深くいみじく思ひ澄ましておはするよし、とぶらひ給ひためるは、御返事いかが侍りけん、いぶせく思ひやられ侍り。 この僧都は、そのかみより名を逃るる心の深くおはしけるなめり。善珠大徳の僧正になりて、悦び申して返り給ひけるに、雨降りければ、蓑笠を着てなん返り給ひける。夜も更け、風も身にしみわたりければ、「もとの居所に、はやも返りてしがな」と思ひて、からうじて行き着きて、西面の僧房の戸口に立ちて、叩き給ふに、あえて音する答(いら)へもなし。 やや久しく叩かれて、この玄賓の君、いと低(ひき)やかに、「誰そ」と答へられけり。「あな、あさまし。『叩かば開け給へ』と、さばかり契り聞こえつる甲斐もなく、いといたう雨に降られて煩はしきに、いかでか遅く訪れ給ふ。まどろみ給ひつるか」とありければ、「『いたく良き振舞好む人は、またわびしき目にも会へば、思ひも知り給へかし』とて、遅く開くるぞかし」とぞ、答へごち給ひける。 この善珠僧正も、いみじき行ひ人なり。『霊異記』といふ文には、「死にて国王となりたり」とぞ侍れど、まことには、兜率(とそつ)の内院に生まれ給へる人なり。僧房の壁に唾(つばき)吐きかけたりとて、内院より返されて、様々の持物(もちもの)替へ、代(しろ)なべて、いみじき名香ども買ひて、湯に沸かして、僧房の壁を洗ひ給ひて、内院の往生遂げたる人なり。その壁は近頃まて香ばしく侍りけりとぞ。さても、この僧都のこと『発心集』にも見え侍るめれど、このことは侍らざめれば、よきついでに因縁も欲しく侍りて、書き侍りぬるなるべし。 すべて、この国に世を逃るる人の中に、この人はことにうらやましくぞ侍る。止観の中には、「徳を縮(つづめ)瑕を露はし、狂を揚げ実を隠せ」と言ひ、また、「もし、跡を遁れんに、脱るることあたはずは、まさに一挙万里にして、絶域他方にすべし」と言へり。今この跡を尋ぬるに、かの教へにつぶとかなひて侍るにや。あはれにかしこくこそ侍れ。 唐土(もろこし)の釈恵叡((底本「釈恵」に「しやくのゑ」と傍注))の徳を隠しわびて、八千里を隔てたる国に行きて、あやしの者のもとに、僧の形とも見えずなりて、羊を飼ひて世を渡りておはしけるは、見る目もさらにかき暗されて侍るぞかし。 今、この玄賓の君の跡を見るに、ある時は奴(つぶね)となりて人に従ひて馬を飼ひ、ある時は渡船に水馴れ、竿さして月日を送るはかりごとにせられけんこと、ことに忍びがたくも侍るかな。「あきはてぬれば」と嘆き、「またはけがさじ」と誓ひ給ひけん心の内、なほなほやるかたなくぞ侍るべき。 あはれ、仏のかかる心を与へ給ひて、「ただ今も走り出でて、跡形なく一人悲しみ、一人嘆きて、袖を抑へ涙を流してあらばや」と嘆けども、甲斐なくて、年も重なりぬるぞかし。 げに、人も知らぬ境にあらんは、いみじく澄み渡りてぞ侍りぬべき。むげに近き所なれども、そのかみ真野の入江を見侍りしに、比良山(ひらやま)おろし吹きすさみて、昔おぼしき尾花が末に鶉(うづら)いとあはれに聞こえしが、常に心に留まりて、「人もとがめぬ山の麓に、鶉を友として、あやしの草の庵(いほ)の身一つ隠すべき結びてみ侍らばや。さてまた、住みにくくは、いづくにも行き隠るるぞかし」など、常に思え侍るなり。しかあるに、いまだここを離るべき時の至らぬにこそ侍るめれ、障るべきことのありとしもなき身の、昨日も暮れ今日も過ぎぬること、なほなほ心のほかに侍り。 さてまた、つくづくと思ふには、このあやしの山の中に身を隠しても、八年(やとせ)の秋を送り来ぬ。天竺・晨旦の文をも、ここにて多く開けり。さるべき契にて、この山の水を飲み、この山の柴折り焼(く)ぶべき身にこそはあるらめと、思ひのどむる時もあり。かかるままには、ただかやうの人の跡を思ひ出でて、慕ひ悲しみて、心をやすめ侍れば、せめてのむつましさに記し入れ侍りぬるなるべし。 ===== 翻刻 ===== 昔ならの京興福寺の僧にて玄賓僧都といふ人 をはしけり智行ともにそなはりて御門僧都の 位おさつけ給けれは哥をよみてはひかくれにける とつくにはやまみつきよしことしけき 君か御代にはすまぬまされり となん侍けることにあはれにこそ侍れとつくにと はとおつ国といへるにこそまことにさかひへたたれる 国の人もかよはていたつらにきよき山水なかれたる/上8オb23 所おほく侍らんものをとことに身にしみて侍りさて その心さしをとけたまひける後の事なめり御 門のおほせにて弘法大師のせうそくし給へることは にも山ふかくいみしくおもひすましておはする よしとふらひたまひためるは御返事いかか侍けん いふせく思ひやられ侍この僧都はそのかみよりなを のかるる心のふかくおはしけるなめり善珠大徳の僧 正になりて悦申て返給けるにあめふりけれは/上8ウb24 みのかさおきてなん返たまひける夜もふけ風も 身にしみわたりけれはもとのゐ所にはやも返 てしかなと思ひてからうしてゆきつきて西面の 僧房のとくちにたちてたたき給にあえておとするいらへ もなしややひさしくたたかれてこの玄賓のきみ いとひきやかにたそといらへられけりあなあさまし たたかはあけ給へとさはかり契きこゑつるかひ もなくいといたうあめにふられてわつらはしきにいか/上9オb25 てかおそくおとつれたまふまとろみ給つるかとありけ れはいたくよきふるまひこのむ人はまたわひしき めにもあへは思もしりたまへかしとておそくあ くるそかしとそいらへこちたまひけるこの善珠 僧正もいみしきおこなひ人也霊異記といふふみには しにて国王となりたりとそ侍れとまことにはと そつの内院にむまれたまへる人也僧房のかへにつは きはきかけたりとて内院よりかへされてさまさまの/上9ウb26 もちものかへしろなへていみしき名香ともかひて ゆにわかして僧房のかへおあらひたまひて内院の 往生とけたる人也そのかへはちかころまてかうはし く侍けりとそさてもこの僧都の事発心集にも 見え侍めれとこの事は侍さめれはよきつゐてに 因縁もほしく侍てかき侍ぬるなるへしすへて この国によをのかるる人の中にこの人はことにうら やましくそ侍止観のなかには徳をつつめきすを/上10オb27 あらはし狂をあけ実おかくせといひまたもしあ とをのかれんにのかるる事あたはすはまさに一挙万 里にして絶域他方にすへしといへりいまこのあとを たつぬるにかのおしへにつふとかなひて侍にや あはれにかしこくこそ侍れもろこしの釈恵(しやくのゑ) 叡のとくをかくしわひて八千里おへたてたる国に ゆきてあやしのもののもとに僧のかたちともみ えすなりてひつしをかひて世をわたりておは/上10ウb28 しけるはみるめもさらにかきくらされて侍そ かしいまこの玄賓の君のあとをみるにあるときは つふねとなりて人にしたかひてむまをかひ或 ときはわたしふねにみなれさほさして月日をを くるはかりことにせられけん事ことにしのひかた くも侍かなあきはてぬれはとなけきまたはけかさ しとちかひ給けん心のうち猶々やるかたなくそ 侍へきあはれ仏のかかる心おあたへたまひてたたいまも/上11オb29 はしりいててあとかたなくひとりかなしみひとりな けきて袖ををさゑなみたおなかしてあらはやと なけけともかひなくてとしもかさなりぬるそか しけに人もしらぬさかひにあらんはいみしく すみわたりてそ侍ぬへきむけにちかき所なれとも そのかみまののいりえおみ侍しにひらやまおろし ふきすさみてむかしおほしきおはなかすゑにう つらいとあはれにきこゑしかつねに心にととまりて/上11ウb30 人もとかめぬ山のふもとにうつらをともとしてあや しの草のいほの身ひとつかくすへきむすひてみ侍 はやさてまたすみにくくはいつくにもゆきかくるるそか しなとつねにおほえ侍也しかあるにいまたここ をはなるへきときのいたらぬにこそ侍めれさはる へき事のありとしもなき身の昨日もくれけふも すきぬる事猶々心のほかに侍さてまたつくつくと思 にはこのあやしの山の中に身おかくしても八とせの/上12オb31 秋おをくりきぬ天竺晨旦のふみおもここにておほく ひらけりさるへき契にてこの山の水おのみこの 山のしはおりくふへきみにこそはあるらめとおも ひのとむるときもありかかるままにはたたかやうの 人のあとをおもひいててしたひかなしみて 心おやすめ侍れはせめてのむつましさにしるし いれ侍ぬるなるへし昔空也上人山のなかにおはし/上12ウb32