====== 芳賀矢一纂訂『攷証今昔物語集』 凡例 ====== - 今昔物語は我が国の最古最貴の説話集である。今其の出典を攷証し、名づけて「攷証((底本は小書きで横に並んでいる。))今昔物語集」と題し、稿本ながら出版する。考拠の研究のまだ分らぬものも沢山あるが、それ等は他日の研究に待ちたいと思ふ。 - 岡本保孝の今昔物語出典考は本書攷証の基礎となつたものであるが、同書未考の説話を攷証し得たことも決して少なくないと信ずる。 - 仏典は種類甚だ多く、其の説くところ大同小異である。本書に引いたのは比較的本文に近い例文を挙げたのに過ぎぬ。尚法苑珠林に挙げたものは、源経を待たずして、直ちに同書を引いた。同書は唐の高宗総章元年、即ち我が天智天皇元年の述作で、今昔物語の作者が必ず目に触れたものに相違ないとおもふからである。 - 其の他、仏祖統記、経律異相、三宝感応要略録、太平広記、淵鑑類函等の類書中から挙げ、此等の書にないものに限って、原本から採った。そは読者の検索上に便利だらうと思つたからである。 - 攷証の文を引くに当たって、原文を全部採らず、本文に必要な部分だけを節略して載せたものもある。 - 本書中目次ばかりあって、本文の欠けたものは、目次によって出典を掲げた。本文の半途で欠けたものも同様である。巻一第二十話、及び第二十四話、巻四二十三話などがそれである。 - 考証文の中、書名に○印を付けたのは本文の出典と見做すべきもので、◎印を付けたのは類話、●((底本では○の中に●))印を付けたのは同一説話で他書に散見したものである。尚同一説話の諸書に転載せられて居るのは、格段の末に何々書参閲とのみ注記したものも多い。 - 今昔物語集本文の校正も亦大に意を致したので、底本には東京大学所蔵田中頼庸の旧蔵本を用ゐた。これは竪一尺一寸横七寸八分の大本、薄葉雁皮に写したもので、伝来は詳ならぬが、頗る古い系統の本らしい。尚左記諸本によって校合し、文字の異同をただし、異同の著しいものは鼈頭に掲出した。 * 東京帝国大学所蔵丹鶴叢書本(異本ト校合書入アリ) * 同上写本(愛岳麓蔵書ノ印アリ) * 同別本(不完十七冊) * 内閣蔵本(昌平坂学問所、浅草文庫、林氏蔵書等の印アリ) * 同上別本 * 東京高等師範学校蔵本(モト内閣ノ一本ト同本ナラン) * 国史大系本 * 史籍集覧本 * 国書刊行会本 - 巻二第三話以下巻三第六話以下の如き、目次の数字に括弧を施したのは、原文に無いのを、検索上便宜のため加へたのである。 - 底本の原本には最後の巻、即ち三十一が欠本であつたらしく、それは三輪義方所蔵文庫本を以て補写したといふ田中氏の奥書がある。然るに同書は普通書下しになって居るので、これだけは丹鶴叢書本を採って体裁を一にした。 - 本書中の難訓は小山田与清の今昔物語訓によつて仮名を付し、尚新撰字鏡、字鏡集、伊呂波字類抄等によって補ひ、これ等は下巻の末に画引として添付した。 - 本書の送仮名は極めて区々であって、一定して居らぬ。今すべて底本の儘にしておいた。例へば、\\ 願ク=願ハク 宣ク=宣ハク 然(サレ)バ=然レバ 瞬(マジロ)ク=瞬ログ 顔ホ 形チ\\ のやうな類である。又仮名遣の誤も其の儘にした。\\ 居ヱが居ヘ 見エが見ヘ オモネルがヲモネル\\ とある類である。語法変化の一証とならうかと考へたからである。漢字の混用等も其の儘である。\\ 花=華 弃=棄 愈=喩 急=忩((この電子テキストでは「怱」にした。)) 検=撿 校=挍 - 人名で明白な誤だけは直した。例へば紀札、超高、二生高帝を季札、趙高、二世高帝と改めた類である。 - 本書底本の筆写終わつて後、悉皆之を校訂せられたのは友人石橋尚宝氏の努力で、明治三十六年の春に始つて、明治四十一年の九月の末、其の功を竣へられた。尚攷証の捜索に関しても、終始余を助けて黽勉せられたので、本書の成つたのに就いては、同氏の労最も多きに居る。又郷人故織田得能氏、及び文学士常磐大定氏は天竺部の出典に就いて、山田孝雄氏は本朝部に就いて、種々有益な注意を与へられた。文学博士姉崎正治氏からも益を享けたことが少くない。茲に謹みて諸氏に対して、厚き敬意を表する。 大正二年五月 \\ 纂訂者 \\ しるす