今昔物語集 ====== 巻22第5話 閑院冬嗣右大臣幷子息語 第五 ====== 今昔、閑院の右大臣冬嗣((藤原冬嗣))と申ける人の御子、数(あまた)御けり。 兄をば長良の中納言((藤原長良))と申けり。何なる事にか有けむ、此の中納言は太郎にては御けれども、弟二人の下臈にてぞ御ける。然れども、此の中納言の御子孫は、于今繁昌して、近代まで栄え給て、太政大臣関白摂政に成し給ふも、皆此の御子孫に御ます。何に況や上達部より以下の人は世に隙無し。 二郎は、太政大臣まで成上り給て、良房の大臣((藤原良房))と申す。白川の太政大臣と申す此れ也。藤原の氏の摂政にも成り、太政大臣にも成給ふは、此の大臣の御時より始れば也けり。凡そ、此の大臣は心の俸(おき)て広く、身の才賢くて、万の事、人に勝れてぞ御ける。亦、和歌(うた)をぞ微妙く読給ける。 御娘をば、文徳天皇の御后にて、水尾の天皇((清和天皇))の御母也。染殿の后((藤原明子))と申す。此れ其の后の御前に、微妙き桜の花を瓶に指て置かれたりけるを、父の太政大臣、見給て読給ける也   としふればよはひはおいぬしかはあれど花をしみればものをもひなし と、后を花に譬へて、読み給へる也けり。此の大臣は、此く微妙く御けれども、「男子の一人も御ざりければ、末の御ぬが、極て口惜き也」とぞ、世の人申ける。 三郎は良相の右大臣((藤原良相))と申ける。世に西三条の右大臣と申は此れ也。其の比、浄蔵大徳と云ふ止事無き行者有けり。其の人(ひ)と、極じき檀越として、大臣、千手陀羅尼の霊験蒙り給へる人也。 此の大臣の御子は、大納言の右大将にて、名をば常行((藤原常行))と申けり。而るに、其の大将の御子、二人有けり。兄は六位にて典薬の助に成て、名をば名継((藤原名継))とぞ云ける。弟は五位にて主殿の頭にて、名をば棟国((藤原棟国))とぞ云ける。皆糸賤き人にて有ければ、其の子孫無きが如し。 然れば、彼の長良の中納言は、弟二人に越されて「辛し」とこそは思給けめども、其の弟の御子孫は無して、此中納言の御子は、数御ける中に、太政大臣・関白に成て、御名をば基経((藤原基経))と申す人御ける。其の御子孫繁昌して、于今栄て微妙く御ます。 此れを思ふに、世の人、「当時弊(そのかみわろ)けれども、遂に子孫栄え、当時吉けれども、末無し。此れ皆、前生の果報也」となむ、語り伝へたるとや。