今昔物語集 ====== 巻22第4話 内麿大臣乗悪馬語 第四 ====== 今昔、内麿((藤原内麻呂))の右大臣と申ける人は、房前((藤原房前))の大臣の御孫、大納言真楯((藤原真楯))と申ける人の御子也。 身の才、止事無くて、殿上人の程より公に仕り給て、其の思え、微妙くなむ御ける。世の人、皆、重く敬て、随ぬ者無かりけり。形ち有様、愚なる事無かりけり。亦、心直くて、人に用ゐられてなむ御ける。 而るに、此の大臣、年未だ若く御ける時に、他戸(おさべ)の宮((他戸親王))と申す太子御けり。白壁の天皇((光仁天皇))の御子也。其の人、心猛くして、人に恐られ(おぢられ)てなむ御ける。 其の時に、一の悪馬有けり。人の乗らむと為る時に、必ず踏咋(ふみくふ)。然れば、敢て人乗る事無かりけり。 而る間、彼の他戸の御子、内麿に命じて、此の悪馬に乗らしむ。然れば、内麿、此の馬に乗り給ふに、万の人、此れを見て、恐怖れて、「内麿、定めて此の馬に咋踏まれて、損じ給ひなむとす」と、糸惜く思ひ合へりけるに、内麿、乗り給ふに、此の馬、頭を垂て動(はたら)く事無し。然れば、内麿、事無く乗り給ひぬ。其の後、度々鞭を打給ふに、馬、尚動かず。然りて、庭を度々打廻て、下給ひにけり。 見聞く人、内麿を讃て「此れ、只人にも御ざりける」とぞ思ひける。昔は此る人なむ御けるとなむ、語り伝へたるとや。