今昔物語集 ====== 巻15第35話 高階成順入道往生語 第卅五 ====== 今昔、前の一条の院((一条天皇))の御代に、筑前の守高階の成順と云ふ人有けり。伊予前司明順が子也。若くして蔵人に任じて、式部の労に依て、筑前の守に成たる也。此の人、本より心柔需((底本異体字。而の下に大))にして、諂曲を離れたり。亦、若くより道心深くして、日夜に法花経を読誦し、阿弥陀の大呪を受け持(たも)ちて、専に仏法を帰依しけり。 而る間、彼の任国に下向して、国に有ける間も、事に触れて慈悲有て、人を哀ぶ事限無し。然れば、国の人、皆首を傾けて喜けり。 而る間、既に任畢ぬれば、京に返り上りぬ。其の後、道心盛りに発にければ、世を厭て「出家せむ」と思に((底本頭注「思ニハ思心ノ誤カ」))深かりければ、父母に向て云く、「己れ世を厭ふ心深くして、出家せむと思ふ。此の心を許し給ひてむや否や」と。父母、此れを聞くと云へども、許す心無し。 然れども、成順の出家の心、尚止まずして、懃ろに父母に此の事を乞請く。父母、強に此れを制止すと云へども、成順、偏に此の世の事を思はずして、只後世菩提を願ふ。遂に髻を切て、僧を成て、戒を受けつ。名を乗蓮と云ふ。父母、歎き悲むと云へども甲斐無し。 出家の後は弥よ仏道を修行して、怠る事無し。其の住ける屋をば堂と改めて、仏を居へ奉り、法文を安置して、天台・法相の智者の僧を請じて、其の堂にして長日に法花経を講ぜしめて、座毎に欠かず聴聞して、其の功徳を貴ぶ。 其の講に、日毎に阿弥陀の絵像一躯・法花経一部・小阿弥陀経一巻を供養す。講筵の後には、法花経の中の貴き文を書き出して、音声吉き僧を呼び集めて、音を同じくして、此の文を貴く誦せしめて、仏を讃歎し奉けり。亦、講筵の後には、必ず阿弥陀経を読ましめて、行道して、念仏三昧を修しけり。 此の如く、貴く善根を様々に修して、八箇年に余にけり。其の間、此の講筵には、京中の貴賤の道俗男女集り来て、結縁の為に聴聞する事限無し。 而る間、乗蓮入道、年漸く半に過る程に、身に悪瘡の病を受つ。日来を経る間に、遂に命終らむと為る時に臨て、心乱れずして、口に弥陀の念仏を唱へて失にけり。 其の後、或る人の夢に、乗蓮入道、船に乗て、西方を指して行ぬと見けり。亦、蓮花を踏て、雲を凌て空に昇ぬと見けり。此れを聞く人、皆涙を流して貴び悲びけり。 此れを思ふに、乗蓮入道、年来法花経を誦し、念仏を唱へ、多く菩提を修して、貴くし失ぬるに、亦夢の告有れば、疑ひ無き往生也となむ、語り伝へたるとや。