今昔物語集 ====== 巻12第17話 尼所被盗持仏自然奉値語 第十七 ====== 今昔、河内の国若江の郡の遊宜の村の中に、一人の沙弥の尼有けり。仏の道を心に懸て、懃(ねんごろ)に勤め行ふ事限無し。平群((底本頭注「平群ノ二字丹本等ニヨリテ補フ」))の山寺に住せる知識を引て、四□□□((底本頭注「引テノ下一本旦那ノニ作ル」))為に□□仏の像を写す。其の中に、六道を図して此れを供養す。其の後、此の山寺に((底本頭注「此ノ山寺ニノ五字丹本等ニヨリテ補フ))安置して、常に詣て礼拝す。 而る間、尼、聊に身に営む事有るに依て、暫く寺に詣でざる程に、其の絵像、盗人の為に盗まれぬ。尼、此れを悲しび歎て、堪ふるに随て東西を求むと云へども、尋得る事無し。 而るに、此の事を歎き悲て、「亦、知識を引て放生を行ぜむ」と思て、摂津の国の難波の辺に行ぬ。河の辺に徘徊する間、市より返る人多かり。見れば、荷へる箱を樹の上に置けり。主は見えず。尼、聞けば、此の箱の中に種々の生類の音有り。「此れ畜生の類を入たる也けり」と思て、「必ず此れを買て放たむ」と思て、暫く留て、箱の主の来るを待つ。 良久く有て、箱の主来れり。尼、此れに会て云く、「此の箱の中に、種々の生類の音有り。我れ、放生の為に来れり。此れを買はむと思ふ故に、汝を待也」と。箱の主、答て云く、「此れ更に生類を入たるに非ず」と。尼、猶固く此れを乞ふに、箱の主、「生類に非ず」と諍ふ。 其の時に、市人等来り集りて、此の事を聞て云く、「速に其の箱を開て、其の虚実を見るべし」と。而るに、箱の主、白地に立去る様にて、箱を棄て失ぬ。尋ぬと云へども行き方を知らず。「早く、逃ぬる也けり」と知て、其の後箱を開て見れば、中に盗まれにし絵仏の像在ます。尼、此れを見て、涙を流して喜び悲て、市人等に向て云く、「我れ、前に此の仏の像を失ひて、日夜に求め恋ひ奉つるに、今、思はざるに値奉れり。喜哉」と。市人等、此れを聞て、尼を讃め貴び、箱の主の逃ぬる事を「裁(ことはり)也」と思て、悪((「にく」底本異体字。りっしんべんに惡))み謗けり。 尼、此れを喜て、弥よ放生を行ひて返ぬ。仏をば本の寺に将奉て、安置し奉てけり。 此れを思ふに、仏の箱の中にして、音を出して、尼に聞かしめ給ひけるが、哀れに悲く貴き也。此れを聞くその辺の道俗男女、心を至し首を低(かたぶけ)て礼拝しけりとなむ語り伝へたるとや。