成尋阿闍梨母集 ====== 二巻(18) 唐よりここに文ありと聞きしかどそらごとにや見えず・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 「唐よりここに、文(ふみ)あり」と聞きしかど、そらごとにや、見えず。それを見るとも、「ゆかしう、対面(たいめ)せまほしきことは慰めやせむずる」と思へど、ここにて、はや、うちありける文の、ものに入りたりける、取り出でて、見まほしき折りは見るものを、まして、「唐のことなどあらむ」と思ふがゆかしきなり。   からくにの別れなりともわが身だにここに歎かば誰(たれ)か歎かむ   ともすれば涙にくもる行く末の暗き道こそ思ひやらるれ うち歎きつつ、月日を過ぐす。世のいとはしさ、いふかたなし。「昔物語の、あはれなるも、をかしきもありし、そらごとにはあらざりけり」と、今ぞ思ゆる。 この居たる西南、所々に桜いみじう咲きたるを、幼き者どもの、「乞ひ寄せて賜へ」と言へば、   花よりも身にはたとへむ方ぞなきうつらむ春に会はむとすやは と見ゆるほどに、帰る雁、雲居に聞こゆるを、「いみじう遥かなる」とあはれにて、   秋はつる雁の声とは聞きながら春の雲居のあはれなるかな と思ふに、「唐にも秋こそは渡るなれ」と人の言ふにも、   うらやまし同じ雲居のほどと言へどいつとも知らぬ秋を待つかな   かりにても今日ばかりこそうらやまめ明日を待つべき命ならねば   袖はひぢ涙の池に目はなりて影見まほしき音(ね)をのみそ泣く 「『言ふにもあまる』と、昔の人のいひける、そらごとにはあらざりけり」とぞ、思ひしらる。よかながらへんわうにあらで、死なむおりは、思ひ出でて。 ===== 翻刻 ===== とのみひとりこちてめはきりつつすくすたうより ここにふみありとききしかとそらことにやみえす それをみるともゆかしうたいめせまほしき ことはなくさめやせむするとおもへとここにては やうちありけるふみの物にいりたりける とりいてて見まほしきおりは見る物を ましてたうのことなとあ覧と思ふかゆかしき也 からくにのわかれなりともわか身たに ここになけかはたれかなけかむ ともすれはなみたにくもるゆくすゑの くらき道こそおもひやらるれ うちなけきつつ月日をすくすよのいとはし さいふかたなしむかしものかたりのあはれな るもをかしきもありしそらことにはあら/s63r さりけりといまそおほゆるこのゐたるにしみ なみところところに桜いみしうさきたるを おさなき物とものこひよせて給へといへは 花よりも身にはたとへんかたそなき うつらん春にあはんとすやは とみゆるほとにかへるかり雲ゐにきこゆ るをいみしうはるかなるとあはれにて 秋はつるかりのこゑとはききなから はるのくもゐのあはれなるかな とおもふにたうにもあきこそはわたるなれ と人のいふにも うらやましおなし雲ゐのほとといへと いつともしらぬ秋をまつかな/s63l かりにても今日はかりこそうらやまめ あすをまつへきいのちならねは そてはひちなみたのいけにめはなりて かけみまほしきねをのみそなく いふにもあまるとむかしの人のいひける天 ことにはあらさりけりとそ思ひしらるよか なからへんわうにあらてしなむおりは思ひ いててこのかたのふたかりたるほとりし/s64r