成尋阿闍梨母集 ====== 二巻(16) 八月十一日の夢に阿闍梨おはして・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 八月十一日の夢に、阿闍梨(あざり)おはして、阿弥陀の讃と申すものの、古きを書きあらためて、「これを見よ」とて、取らせ給へりと見る。 また、この十三日の夜(よ)の夢に、「無量義経を読め」とて、取らせ給へりと見るに、おどろきても、「この世にうち捨て給へるはつらけれど、のちの蓮(はちす)の上と契り給ひし心ざしは、忘れ給はぬなめり」とあはれには思ゆれど、おぼつかなさは、やむかたなし。 その十月十一日に、「筑紫より」とて文(ふみ)持たる僧来たり。「阿闍梨の御文か」と心騒ぎして、嬉しう思ふに、あらぬ、かの御共に往にし人なり。「御房の、三月十五日、ここを出で給ひて、うらのかうちしん((「うら」を「唐(から」、「かうちしん」を「杭州津(かうしうしん)」の誤りとして、「唐の杭州津」とする説がある。))といふ所に、この二十一日、おはし着きたりければ、そこに大弐とてある人、見奉りて、いみじう尊(たふと)がりて、その奥((台州))にもまた大弐といふ人ありて、そこに送り聞こえたるを、同じやうに尊がりて、天台山といふ所に、輿(こし)に乗せ聞こえて、送り聞こえて、それより五臺山(ごたいせん)へは渡し奉るべしと聞く」と書きたれど、かの御文ならねば、おぼつかなさも慰まず、なかなかなる心地するに、この文持て来たる僧の、「御房、渡し奉りたる唐人に会ひて侍りき」と語る。 「『『来年(らいねん)の秋は必ず来(こ)む』とのたまひしかば、春まかりて、秋は具し奉らむ』と言ひき」と言ふ。「されば、まかりあひて、われも参らむ」とて、「去なむとす」と言ふ。 さりとて、かの御文を見ねば、「まことにや」とも思えず。 うち歎きつつ、天をながむれば、十一月二十日、雪いみじう降る。目も霧て、   うらやまし同じ雲居のほどといへどゆきめぐりたる冬は来にけり と思ふにも、まづ知る涙に   心より涙は出づるものなれや思へば袖にまづぞかかれる と、ただ、「とく死なむ」とのみぞ思ゆる。 十二月八日、礼のかき暗し、みぞれといふもの、雪の降るままに、かつ消ゆるをうらやましく、かやうに跡もなく消えなまほしうて、   かき暗しわが身それとも思はねどそらに心を知りにけるかな なほ降るを見暮らすに、   はるかにもゆきまがふぞと思ひせは消えかへれとはことづけてまし その八日、「御門、おりさせ給ふ」と、人々言ひ騒ぐにも、世さへ変る心地して、西のふたがる方(かた)なれば、死なむことなど思ひて、仁和寺(にわじ)より迎へに車おこせ給ひつるに、渡らむとするほどに、「肥前殿((藤原定成))より」とて、文あり。 見れば、様々のものの書きつけて、「阿闍梨の御代りに見よ」とぞあるにも、「言ひ置き給へる名残にこそ」などのみ、返す返す、例の空目(そらめ)のみしつつ過ぐす。 ===== 翻刻 ===== なとひとりこちつつある八月十一日のゆめに あさりおはしてあみたのさんと申物ゝ/s58r ふるきをかきあらためてこれをみよとて とらせ給へりと見る又この十三日のよの夢に 无量き経をよめとてとらせ給へりとみる におとろきてもこのよにうちすて給へるは つらけれとのちのはちすのうへとちきり給 し心さしはわすれ給はぬなめりとあはれ にはおほゆれとおほつかなさはやむかたなし その十月十一日につくしよりとてふみもたる 僧きたりあさりの御文かと心さはきして うれしうおもふにあらぬかの御ともにい にし人なり御房の三月十五日ここをいて/s58l 給てうらのかうちしんといふ所にこの廿一日 おはしつきたりけれはそこに大二とてあ る人見たてまつりていみしうたうと かりてそのおくにもまた大二といふ人 ありてそこにおくりきこえたるをおなし やうにたうとかりて天大山といふ所に こしにのせきこえておくりきこえて それよりこたいせんへはわたしたてまつ るへしときくとかきたれとかの御文なら ねはおほつかなさもなくさますなかなか なるここちするにこのふみもてきたる/s59r 僧の御房わたしたてまつりたるたう人 にあひてはへりきとかたるらいねんの秋 はかならすこんとのたまひしかは春まかり て秋はくしたてまつらんといひきといふさ れはまかりあひて我もまいらむとてい なんとすといふさりとてかの御文をみね はまことにやともおほえすうちなけき つつ天をなかむれは十一月廿日ゆきい みしうふるめもきりて うらやましおなしくもゐのほとといへと ゆきめくりたる冬はきにけり/s59l とおもふにもまつしるなみたに こころよりなみたはいつるものなれや おもへはそてにまつそかかれる とたたとくしなんとのみそおほゆる十二月八 日れいのかきくらしみそれといふ物ゆきの ふるままにかつきゆるをうらやましく かやうにあともなくきえなまほしうて かきくらし我身それともおもはねと そらに心をしりにけるかな 猶ふるを見くらすに はるかにもゆきまかふそとおもひせは/s60r きえかへれとはことつけてまし その八日みかとおりさせ給ふと人々いひ さはくにも世さへかはるここちしてにし のふたかるかたなれはしなんことなと おもひてにわしよりむかへにくるまお こせ給つるにわたらんとするほとに ひせん殿よりとてふみあり見れはさ まさまのもののかきつけてあさりの御か はりに見よとそあるにもいひおき給 へるなこりにこそなとのみ返々れいの そらめのみしつつすくす正月になりても/s60l