成尋阿闍梨母集 ====== 二巻(6) 思へども飽かず侍れば昔のことを思ひ出づるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 思へども飽かず侍れば、昔のことを思ひ出づるに、この君(きん)だちを父(てて)も亡くなりて持たるに、人々参らせ、桃宮(ももみや)と申すも、えさらぬ筋にて、「われ知らむ」など、さまざまのたまひしかど、「法師になしてむ」と思ひなりにしを思ゆる。   火の家をこしらへ出でてとらせてしこのくるまをも今は待つかな   かけてける衣(ころも)の裏の珠ぞとも立ち帰らずは誰(たれ)か告ぐべき なと思ゆるに、秋風少し吹く音すれば、   わたの原漕ぎは離れたる秋よとや四方(よも)の浦風身にぞしみける 思ひ残すことなく、もののみあはれなるに、秋の盛りの花、女郎花(おみなへし)・萩(はぎ)・蘭(らに)・撫子(なでしこ)など見るにも、奥山((岩倉を指す。))にありし年ごろ、秋山の唐紅(からくれなゐ)に見えし色、唐土(もろこし)の名に思ひなしたる心地して、別れのみ秋は心のもみぢ焦がれつつ、「あなやくなや」と、過ぎにしさへぞ、厭はしき。 さるは、三十あまりしより、死なむことを疑ひなく、夜(よる)などは、「寝入りてややまむ」など思えしかば、うち解けて、人のあたりにもむつかしう、暑きなどにも単衣(ひとへ)など身にひきまとひつつなんせしかば、見る人々、「あまりの心」と言はれし命の、かく長くて、この二十年ばかり、月日の過ぐるを厭ひ、阿弥陀仏を念じ奉りて、夜昼この世を厭ひ侍るに、かく世にたぐひなきことをさへ見侍るに、「仏さへ憎ませ給ふにこそいと心憂く、さりとも絶ゆべきかは」と思ひてぞ。   思ひ出づるまことの道のたかはずは蓮(はちす)の上をいかが見ざらむ とぞ、心の内には疑ひなく思え侍る。   すみ給ふ仏の池の清ければあみだにこそは罪すくふらめ とぞ、頼み奉る。 八月十五夜、月いみじく明かきに、仏の御光(ひかり)思ひやられて、   円(まど)かなる月の光をながめても入る山の端(は)の奥ぞゆかしき など思ひつつ、過ぎ行く月日は、「ただ死なむほどの今日にや」と言ひ思ひ暮しつつ、九月になりぬるに、折り知り顔に、菊の花咲くさましたり。 長月(ながつき)といふ名も、久しきことの厭はしきによそへられて、「とく過ぎよかし」と思ゆるに、菊の花咲きて色々なるも、いかに「うつろへ」とは言ひそめしにか。 秋深くなるにも、いとどもののみあはれにて、見出だしたれば、時雨のやに雨の音す。   花散りし春の別れの悲しさの涙や秋の時雨なるらむ いみじううつろひたるに、   うつらふは唐錦(からにしき)とやきくの花よそふるしもぞ消え返りぬる 異事(ことごと)思えぬままに、あやしけれど、言ひつつ慰め侍る。 ===== 翻刻 ===== うれしきを見んなとおほゆるおもへ ともあかすはへれはむかしのことを 思ひいつるにこのきんたちをてても なくなりてもたるに人々まいらせもも 宮と申すもえさらぬすちにて我 しらんなとさまさまの給しかと法 師になしてんと思ひなりにしを/s38r おほゆる 火のいゑをこしらへいててとらせてし このくるまをもいまはまつかな かけてけるころものうらの玉そとも たちかへらすはたれかつくへき なとおほゆるに秋風すこし吹おと すれは わたのはらこきはなれたる秋よとや よものうら風みにそしみける 思ひのこすことなくもののみあはれなるに/s38l 秋のさかりの花おみなへしはきらになて しこなとみるにもおく山にありし年ころ 秋山のからくれなゐに見えしいろもろ こしのなに思ひなしたる心地してわか れのみあきはこころのもみちこかれつつ あなやくなやとすきにしさへそいと はしきさるは卅あまりしより しなんことをうたかひなくよるなとは ねいりてややまんなとおほえしかは うちとけてひとのあたりにもむつ/s39r かしうあつきなとにもひとへなとみに ひきまとひつつなんせしかは見る人々 あまりのこころといはれしいのちのかく なかくてこの廿年許月日のすくるを いとひ阿弥陀仏を念したてまつり てよるひるこのよをいとひはへるにかく よにたくひなきことをさへみはへるに ほとけさへにくませたまふにこそい とこころうくさりともたゆへきかはと おもひてそ/s39l おもひいつるまことの道のたかはすは はちすのうへをいかかみさらん とそ心のうちにはうたかひなくおほえ侍る すみ給仏のいけのきよけれは あみたにこそはつみすくふらめ とそたのみたてまつる八月十五夜月 いみしくあかきに仏の御ひかり思ひや られて まとかなる月のひかりをなかめても いるやまのはのおくそゆかしき/s40r なとおもひつつすき行月日はたたしな むほとのけふにやといひおもひくらしつつ 九月になりぬるにをりしりかほにきく の花さくさましたりなかつきといふな もひさしきことのいとはしきによそへ られてとくすきよかしとおほゆるに きくの花さきていろいろなるもいかにう つろへとはいひそめしにか秋ふかくなるに もいとともののみあはれにて見いたし たれはしくれのやにあめのおとす/s40l 花ちりし春のわかれのかなしさの なみたや秋のしくれなるらん いみしううつろひたるに うつらふはからにしきとやきくの花 よそふるしもそきえかへりぬる ことことおほえぬままにあやしけれと いひつつなくさめはへる人々のをのか思ひ思ひ/s41r