成尋阿闍梨母集 ====== 一巻(10) 書き付けでもありぬべきことなれど・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 書き付けでもありぬべきことなれど、「もし、おはしたらば、さ思ひける」とも見給へかし。 昔の釈迦仏(さかぼとけ)の、世を厭(いと)ひて出で給ひけむたび、のたまひし折に申さまほしかりしかど、そのころ、心地のいと悪しう、息苦しうて、ものの言ひにくく侍りしかば、え聞こえずなりにし。 人の、いみじけに泣きわび、「かけても見え奉らず」と言ひしかど、年ごろ、少しも心解け、何ごとなくあらせ給ひてありつるに、わが命のあまり久しうありて、待ちわびて、「わが思ふことせむ」とある折まで、待ちつけて、「妨ぐると思はれじ」と、わが身、ただ今日か明日かになりにたり。必ず見置きて死なむとす。 年ごろは、「絶え入らむ折、二人並び居給ひて、貴きことども、念仏し聞かせ給はむを、聞き入りて、やがてこそは絶えも入らめ」とこそは思ひ侍りつれ。「この人の御心の、かくおはするにあひたる、昔の契りに末に悪(わろ)かりける」と、返す返す思ひ念じて、聞こえずなりにしかど。 釈迦仏、摩耶夫人と申しける、生み置きて失せ給ひにければ、父(てて)浄飯王と申す、一人養ひて、生ひ立て給ひたるとこそは聞き侍れ。それは、「国を譲り世を伝へ給へ」と思す心ざしこそは侍りけめ。 高きも賤しきも、母の子を思ふ心ざしは、父には異なるものななり。腹の内にて、身の苦しう、起き臥しもやすうせねど、「わが身よくあらむ」と思えず。これを、「見る目より始めて、人より良くてあれかし」と思ひ念じて、生まるる折の苦しさも、ものやは思ゆる。生まれ出でたるを見るより、人のこれをあはれび思はずは、ものになるべき人のさまやはしたる。 その中にも、はかなかりけるにか、この阿闍梨(あざり)の、いみじうかなしかりしかば、わが心の苦しきも知らず、これをまづ人にも、われもあつかふほどに、人に抱(いだ)かすれば泣き、われ抱けは泣きやみ給ふを、「しばしも泣かせじ」と思えつつ心みれど、なほ、他(ほか)にては泣く、わがもとにては泣かず。御座(おまし)などに臥すれは泣くに、夜(よ)もうし ろめたくて、膝に臥せて、高坏(たかつき)を灯台(とうだい)にして、膝の前に灯して、障子(さうじ)に背中を当てて、百日までぞ。乳母には預け侍りし。起き返りのほどに。その心ざし、今まで怠らず。 ほかに居給ひしのち、人の来れば、「何ごとをか言はむずらむ」とのみおぼつかなく、御文見ぬほどは、「いかが」と思え侍りつるに、この三四年は、近くては夜(よる)も夜中もおぼつかなからず聞きかはして、嬉しう侍りつるに、かかる御心の深くつきて、今まで侍る命の侍るうとましさに、われながらうとましく、人にも見ゆる、いと恥しう侍りて。 それに、昔、太子((釈迦を指す。))、花園に遊び出で給ふには、「四面の門(かど)に、生まるる者を見し」とて帰りて、今一つの門におはするに、老いてゆゆしげなる者を見る。また帰りて、次のに病(やまひ)する者を見て帰り、次のに死ぬる見て帰り給てのちに、夜出でておはしけれ。身には二つの憂へあるをば見給ひけむを、年老いたり、病づきたるさま、それ見ては、「日をも延べ給ふべくや」と思ふ。 心憂く侍れど、つらしなと恨むる、かの人の御ため悪しと聞き侍るは、ただ身の苦しきに、「『とく死なましかば』と思ふより、ほかのこと思はじ」と思ひ侍るに、釈迦仏の喩ひには、これはまさりて侍ること、「かれは位を譲りて、めでたくておはしまさせむ」と親の思ほす違ひたれ、みづから朝夕ゆかしう命をかけ聞こえ、何ごとか侍るをうち捨てておはするを、いふかたなくぞ。 身の命長さを罪なれば、人の御咎とも思え侍らず。   わが身だにこの世になくば唐土(もろこし)の別れなりとも歎かましやは   別れ路(ぢ)にこの世の憂きは見えぬるを今は仏の路ぞゆかしき   日にそへて仏の路をたづねつつ暮れゆくをこそしひかにはすれ   から国の別れを歎くかたにても心づくしのありけるぞ憂き   唐土へ行く人よりもとどまりてからき思ひはわれぞまされる   かき積みてやくと見れども藻塩草(もしほぐさ)思ひわびつつ消え返るかな   かくばかり憂かりける身をささがにのいかで今まで長らへつらむ 仁和寺にてぞ、禅師(ぜじ)に、「この今の御堂には、何仏(なにほとけ)かおはします」と問へば、「釈迦仏」と言へば、   西にます仏の御名は異なれど会ふはかりなき方は変らず ===== 翻刻 ===== かきつけてもありぬへきことなれともし おはしたらはさ思ひけるともみ給へかし/s23r んかしのさか仏のよをいとひていて給ひ けんたひのたまひしをりに申さまほ しかりしかとそのころ心地のいとあ しういきくるしうてもののいひにくく はへりしかはえきこえすなりにし 人のいみしけになきわひかけてもみ えたてまつらすといひしかととし ころすこしも心とけなにことなくあ らせ給ひてありつるに我いのちのあまり ひさしうありてまちわひて我思こと/s23l せんとあるおりまてまちつけてさま たくるとおもはれしとわかみたたけふ かあすかになりにたりかならすみを きてしなんとすとしころはたえいらん おりふたりならひゐ給ひてたうとき こととも念仏しきかせ給はんをききいり てやかてこそはたえもいらめとこそは 思ひ侍りつれこの人の御こころのかくおは するにあひたるむかしのちきりにすゑ にわろかりけるとかへすかへすおもひね/s24r むしてきこえすなりにしかとさか仏 まやふ人と申けるうみおきてうせた まひにけれはてて上ほんわうと申すひ とりやしなひておひたて給ひたると こそはききはへれそれはくにをゆつり 世をつたへ給へとおほす心さしこそは 侍りけめたかきもいやしきもはは のこをおもふこころさしはちちにはこと なるものななりはらのうちにてみのく るしうおきふしもやすうせねと我/s24l 身よくあらんとおほえすこれを見るめ よりはしめて人よりよくてあれかし と思ひねんしてうまるるおりのくる しさもものやはおほゆるむまれいて たるをみるより人のこれをあはれひお もはすはものになるへきひとのさま やはしたるその中にもはかなかりける にかこのあさりのいみしうかなしかり しかはわかこころのくるしきもしらす これをまつ人にもわれもあつかふ/s25r ほとに人にいたかすれはなきわれいた けはなきやみたまふをしはしも なかせしとおほえつつ心みれと猶ほか にてはなくわかもとにてはなかすおま しなとにふすれはなくによもうし ろめたくてひさにふせてたかつきを とうたいにしてひさのまへにともして さうしにせ中をあててももかまてそ めのとにはあつけはへりしおきかへりの ほとにそのこころさしいままておこたらす/s25l ほかにゐたまひしのち人のくれはな にことをかいはんすらんとのみおほつか なく御ふみみぬほとはいかかとおほえは へりつるにこの三四年はちかくてはよ るもよ中もおほつかなからすききか はしてうれしうはへりつるにかかる御 こころのふかくつきていままてはへるい のちのはへるうとましさに我なから うとましく人にもみゆるいとは つかしうはへりてそれにむかし/s26r 太子はなそのにあそひいてたまふには 四めんのかとにんまるるものおみしとて かへりていまひとつのかとにおはするに おいてゆゆしけなるものを見るまたか へりてつきのにやまゐするものを見 てかへりつきのにしぬる見てかへり 給てのちによるいてておはしけれ身 にはふたつのうれへあるをは見たまひ けんをとしおひたりやまひつきたる さまそれ見ては日をものへ給へくやと/s26l 思ふ心うくはへれとつらしなとうら むるかの人の御ためあしとききはへる はたた身のくるしきにとくしなま しかはとおもふよりほかのことおもはし と思ひはへるにさか仏のたとひにはこれ はまさりてはへることかれはくらゐを ゆつりてめてたくておはしまさせん とおやのおもほすたかひたれ身つから あさゆふゆかしういのちをかけき こえなにことかはへるをうちすてて/s27r おはするをいふかたなくそ身のいのち なかさをつみなれは人の御とかとも おほえはへらす 我身たにこの世になくはもろこしの わかれなりともなけかましやは わかれちにこの世のうきはみえぬるを いまはほとけのみちそゆかしき 日にそへてほとけのみちをたつねつつ くれゆくおこそしひかにはすれ からくにのわかれをなけくかたにても/s27l 心つくしのありけるそうき もろこしへゆく人よりもととまりて からきおもひはわれそまされる かきつみてやくとみれとももしほ草 おもひわひつつきえかへるかな かくはかりうかりける身をささかにの いかていままてなからへつらん 仁和寺にてそせしにこのいまの御たう にはなにほとけかおはしますととへはさか 仏といへは/s28r にしにます仏のみなはことなれと あふはかりなきかたはかはらす/s28l