十訓抄 ====== 跋 ====== ===== 校訂本文 ===== そもそも、難波の言の葉の、よしあしにつけつつ、昔今の物語を集め見るに、その身はさながら苔の下に朽ちにければ、わづかに埋(うづ)もれぬ名ばかりを、しるしとどむるあはれさに、なきは数そふ世のありさま、思ひつづけられて、「いつか身の上に」とのみ心細し。 夢なり。幻なり。古人去りて帰らず。有とやせん、無とやせん。旧友かくれて、残り少なし。 かの『文選』といふ文に、「冉々((底本「前々」。諸本により訂正。))として行き暮れぬ。水、滔々として、日々にわたる」とあるこそ、まことに理(ことわり)なれ。常(つね)なく移りゆく世の中を聞き見るに、たきついはせの河浪の、すみやかに流れ行きて、とまらざるにことならず。 かかれば、歌にも、「流れて早き月日なりけり」とも詠み、詩にはまた、「水は返る夕(ゆふべ)なし、流年の涙」とも作り、法文には、「人命不停過於山水」ともあるやらん。 しづのをだまきくりかへし、昔を今になしがたき習ひにて、わが世も、人の世も、ただあだなる仮の宿(やど)なれば、かかる筆のすさみまで、いつか「昔の跡」と言はれんと、あはれにあぢきなく思えてなん。 ===== 翻刻 ===== 抑ナニハノコトノハノヨシアシニツケツツ、昔今ノ物語ヲ 集メ見ニ、其身ハサナカラ苔ノ下ニ朽ニケレハ、僅ニウツ モレヌ名ハカリヲシルシトトムルアハレサニ、ナキハカスソ フ世ノ有サマ、思ツツケラレテ、イツカミノ上ニトノミ心 ホソシ、夢也幻也、古人去テ不帰、有トヤセン無トヤ セン、旧友カクレテ残スクナシ、彼文選ト云文ニ前々ト シテ行クレヌ、水滔々トシテ日々ニワタルトアルコソ、実 ニ理ナレ、ツネナクウツリユク世中ヲキキ見ニ、タキツ イハセノ河浪ノ、速ニ流行テトマラサルニコトナラスカ/k143 カレハ哥ニモ、流テハヤキ月日ナリケリトモヨミ、詩ニハ 又水ハ返夕ナシ流年ノ涙トモ作リ、法文ニハ人ノ命不 停過於山水トモ有ヤラン、シツノヲタマキクリカヘシ、昔ヲ 今ニナシカタキ習ニテ、我世モ人ノ世モ、タタアタナルカリ ノヤトナレハ、カカル筆ノスサミマテ、イツカ昔ノアトトイハレン ト、哀ニアチキナク覚テナン、/k144