十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の79 勘解由相公有国卿若かりけるころ父豊前守に具して・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 勘解由相公有国卿((藤原有国))、若かりけるころ、父((藤原輔道))、豊前守に具して、筑紫にありける時、父、にはかに病を受けて死にければ、有国、泰山府君の祭を法のごとく心をいたしてし奉りけるに、三時ばかりありて生き返りていはく、「われ、閻魔庁に召されたりつるに、美麗なる饗をそなへたるによて、返しつかはすべきよし、定めあるに、冥官一人、『輔道をば返しつかはさるといへども、有国をば召さるべし。そのゆゑは、その道の者にあらずして、その祭りをつとむ。その咎(とが)なかるべきにあらず』と申すに、また座に着きたる人、『有国、咎あらず。その道の者なき遠国の境にて、孝養心((底本「孝食心」。諸本により訂正))にたへず、この祭をつとめたらむ。沙汰に及ぶべからず』と申すに、着座の人々、みな『これに同じ』と申すによて、今返されたるなり」と言ひけり。 かの修因感果の無限政事の中にも、かやうのことにつきて、なほ冥慮おのおの別なり。いはんや、人間をや。しかれば、賞をばすすめ、刑をばなだめて、慈悲をさきとせんこと、さだめて上は天意に達し、下は人望にかなはんものをや。 ===== 翻刻 ===== 八十二勘解由相公有国卿ワカカリケル比、父豊前守ニ具テ 筑紫ニ有ケル時、父俄ニ病ヲ受テ死ニケレハ、有国 泰山府君ノ祭ヲ法ノ如ク心ヲ至シテシ奉リケ ルニ、三時ハカリ有テ生返テ云、我焔魔庁ニ召レ/k141 タリツルニ、美麗ナル饗ヲソナヘタルニヨテ、返シツカ ハスヘキヨシ定メアルニ、冥官一人輔道ヲハ雖被返遣有 国ヲハ可被召、其故ハ其道ノモノニ非シテ其祭ヲツト ム、其咎非可無ト申スニ、又座ニ着タル人、有国トカア ラス、其道ノモノナキ遠国ノ境ニテ、孝食心ニ不堪、此 祭ヲツトメタラム、サタニ及フヘカラスト申ニ、着座ノ 人々皆是ニ同ト申ニヨテ、今被返タル也ト云ケリ、彼 修因感果ノ無限政事ノ中ニモ、カヤウノ事ニ付 テ、猶冥慮各別也、況人間ヲヤ、然ハ賞ヲハススメ刑ヲ ハナタメテ、慈悲ヲサキトセン事、定メテ上ハ天意ニ/k142 達シ、下ハ人望ニカナハンモノヲヤ、/k143