十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の72 顕基卿世をのがれて上醍醐に籠り居られたりけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 顕基卿((源顕基))、世をのがれて、上醍醐に籠り居られたりけるに、醍醐の大僧正、「琵琶の三曲といふなるもの、老法師に弾きて聞かせ給へ。今日、明日、まかりかくれなんずるに、よみづとに((「に」は底本「ま」。諸本により訂正。))つかうまつらん」と、あながちに言はれければ、「さばかり貴き人の、かくねんごろにあつらへ給ふことなり」と思ひて、ある時、三曲、はじめより、ことごとくこれを弾く。 僧正、よくよく聞きて、あくびたびたびして、「あはれ、花園より詣で来る盲法師の、『極楽の雨しただりの音』とて弾き侍るは、たうときものを。その曲をば、伝へ給はぬにや」と問はれけり。 とかくいふばかりなくて、「いまだ、えこそ」とばかりにて、やみにけり。 楚山に得たりし玉璞も、良工に知られざりしほどは、石にことならず。呉坂を過ぎける麒麟((底本ママ。諸本、並びに原拠(『文選』等)は騄驥))も、王良・楽((伯楽。底本「薬」))にあはざりけるあひだは、塩をこそ負ひければ、いかなる秘曲なりとも、まことに聞き知らざらむためには、よしなきことにこそ。 かの広沢僧正((寛朝))の、理観・真言のひまひまに、流泉・啄木を弾きて、心をすまし給けんには、似給はざりけり。 ===== 翻刻 ===== 七十四顕基卿世ヲノカレテ上醍醐ニコモリヰラレタリケルニ醍 醐ノ大僧正琵琶ノ三曲ト云ナルモノ、老法師ニ引テキ カセ給ヘ、ケフアスマカリカクレナンスルニ、ヨミツトマツカウ マツラント、強ニイハレケレハ、サハカリ貴キ人ノ、カクネンコロニ 誂ヘ給事也ト思テ、アル時三曲始ヨリ悉ク是ヲ引、僧 正能々聞テアクヒタヒタヒシテ、アハレ花薗ヨリマウテクル/k120 目クラ法師ノ極楽ノアマシタタリノオトトテヒキ侍ルハ タウトキモノヲ、其曲ヲハ伝ヘ給ハヌニヤトトハレケリ、ト カク云ハカリナクテ、イマタエコソトハカリニテヤミニケリ、 楚山ニエタリシ玉璞モ良工ニシラレサリシ程ハ石ニ不異 呉坂ヲスキケル麒麟モ、王良薬ニアハサリケル間ハ、シ ホヲコソヲヒケレハ、イカナル秘曲ナリトモ、実ニ聞シラサ ラムタメニハ、ヨシナキ事ニコソ彼広沢僧正ノ理観真 言ノヒマヒマニ流泉啄木ヲヒキテ、心ヲスマシ給ケンニハ 似タマハサリケリ、/k121