十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の70 大宰大弐資通は琵琶に名を得たりけるうへ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 大宰大弐資通((源資通))は、琵琶に名を得たりけるうへ、これに心を入れたること、人にすぐれて、しばしもさし置くことなかりけり。ことなる念誦もせず、毎日持仏堂に入りて、仏前にて琵琶を弾きて、人に数を取らせて、これを廻向し奉りけり。よく心にしめるなりけり。 しかれども、御門より玄象を賜はりて、弾きけるに、いと調べえざりければ、済政三位((源済政))、これを聞きて、「玄象こそ腹立ちにけれ」と言はれけり。 のちに、かの資通の弟子、経信卿((源経信))、調べえざりければ、「済政、言へることあり。今もその言葉のごとし」とぞ、時の人言ひける。 これは、この人々のいまだ至らぬ折のことにや。おぼつかなし。 かの玄象、もとは唐の琵琶の師、劉二郎が琵琶なり。深草の御門((仁明天皇))の御時、掃部頭貞敏((藤原貞敏))が唐に渡りて、琵琶習ひける時の琵琶なり。紫檀の甲の継ぎ目なきにてあるなり。されども、「唐人は信せず」とぞ、基綱の大弐((藤原基綱))は言はれける。 ある人の説にいはく、「玄象は、玄上宰相((藤原玄上))の琵琶なり。その主の名を付けたるによりて、玄上と書けり」といふこともあり。なほ唐人の琵琶と見えたり。撥面に黒き象を描けるによりて、玄象といふとぞ。 昔より霊物にて、内裏焼亡の時も、人の取り出ださぬ前に飛出でて、大庭の椋の木の末にぞ懸かれりける。 ある時は、朱雀門の鬼に盗まれたりけり。これを求めんために、修法行はれければ、門の上より、頸に緒を付けて下せりなど、語り伝へたり。今の世には、この道に至らぬ人、弾かんとすれば、必ずさはり出で来といへり。 琵琶の秘曲には、上玄石上流泉・白子楊真操・啄木なり。これを名づけて「胡渭州三曲」とはいふなり。 琵琶の名物は、玄象・牧馬・井手・渭橋・木絵・元興寺・小琵琶・無名、これらなり。名につきて、みな子細あれども、こと長ければしるさず。 ===== 翻刻 ===== 七十二太宰大弐資通ハ比巴ニ名ヲエタリケル上、是ニ心ヲ入タル 事人ニ勝レテ、シハシモ指置事ナカリケリ、殊ナル念誦/k116 モセス、毎日持仏堂ニ入テ、仏前ニテ比巴ヲ引テ、人ニカス ヲトラセテ是ヲ廻向シ奉ケリ、能心ニシメルナリケリ、シ カレトモ御門ヨリ玄象ヲ給リテ引ケルニ、イトシラヘエサ リケレハ、済政三位是ヲ聞テ、玄象コソ腹立ニケレトイハ レケリ、後ニ彼資通ノ弟子経信卿シラヘエサリケレハ、済 政イヘル事アリ、今モ其詞ノ如トソ時ノ人云ケル、是ハ此人 々ノ未至オリノ事ニヤオホツカナシ、彼玄象モトハ唐ノ 琵琶ノ師劉二郎カ比巴ナリ、深草御門御時掃部頭貞 敏カ唐ニ渡テ比巴習ケル時ノ比巴ナリ、紫檀ノ甲ノツ キメナキニテアルナリ、サレトモ唐人ハ信セストソ、基綱ノ大/k117 弐ハイハレケル、或人説云、玄象ハ玄上宰相ノヒハナリ、其 主ノ名ヲツケタルニヨリテ、玄上トカケリト云事モアリ、 ナヲ唐人ノヒハト見エタリ、撥面ニ黒キ象ヲカケルニヨ リテ、玄象ト云トソ、昔ヨリ霊物ニテ、内裏焼亡ノ 時モ人ノトリ出サヌ前ニ飛出テ、大庭ノムクノ木ノス エニソカカレリケル、アル時ハ朱雀門ノ鬼ニヌスマレタリ ケリ、是ヲ求メンタメニ、修法ヲコナハレケレハ、門ノ上ヨリ 𩒐ニ緒ヲ付テヲロセリナトカタリ伝ヘタリ、今ノ世 ニハ此道ニ至ラヌ人ヒカントスレハ、必サハリ出クト云リ、 比巴ノ秘曲ニハ上玄石上流泉白子楊真操啄木也、/k118 是ヲ名付テ胡渭州三曲トハ云也、比巴ノ名物ハ玄象 牧馬井手渭橋木絵元興寺小琵琶無名是等也、 名ニ付テ皆子細アレトモ、事長ケレハシルサス、/k119