十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の63 唐国に衛の霊公といふ人晋の国へ行く道に・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 唐国(からくに)に衛の霊公といふ人、晋の国へ行く道に、濮水といふところに宿りたりけるに、夜更くるほどに、旅寝の草枕、いと露けき折しも、水の底に琴を弾く音あり。師涓といふ人を召して、この声を琴の音(ね)にうつし給ふ。 そののち、晋の平公のもとにおはしつきて、「かかるものの音をこそうつし侍れ」とて調ぶるに、まことにたぐひなし。 そののち、師曠といふ人、これを聞きて、「これは亡国の声なり。昔、師延((底本「師筵」。原拠により訂正。以下同じ。))が作りし、殷の紂の靡靡楽((底本「摩々楽」。諸本及び原拠により訂正。))なり。武王、紂を討ちし時、師延、この水に沈む。それよりして、かの水よりこの声を出だす。今の世に調ぶべからず」と言ふ。 その時、平公いはく、「われ年老い、齢(よはひ)かたぶきたり。こののち、国亡ぶとも、あへて愁ふべからず」と。「ただ昔の楽を聞かん。この時、また上古の遠楽を知らん」と。左右、聞く者、皆もつて涙を流す。 この時、空より玄鶴十六飛び来りて、羽を広げ頭を伸べて、にはかに舞ひたはぶれけりといへり。 ===== 翻刻 ===== 六十六カラ国ニ衛霊公ト云人、晋ノ国ヘ行道ニ、濮水ト云所 ニヤトリタリケルニ、夜フクル程ニ旅寝ノ草枕イト露 ケキオリシモ、水ノ底ニ琴ヲ引音アリ、師涓ト云人ヲ/k107 召テ、此声ヲ琴ノネニウツシ給、其後晋平公ノモトニオ ハシツキテ、カカル物ノネヲコソウツシ侍トテシラフルニ、 実ニタクヒナシ、其後師曠ト云人是ヲ聞テ、是ハ亡国ノ 声也、昔師莚カ作シ殷ノ紂ノ摩々楽也、武王紂ヲ討 シ時、師筵此水ニ沈ム、ソレヨリシテ彼水ヨリ此声ヲ出ス、 今ノ世ニ不可調トイフ、其時平公云、我ハ年老齢カタ フキタリ、此後国ホロフトモアヘテ不可愁トタタ昔ノ 楽ヲキカン、此時又上古ノ遠楽ヲシラント左右聞者皆 以涙ヲナカス、此時空ヨリ玄鶴十六飛来テ、ハネヲヒロ ケ頭ヲノヘテ、俄ニ舞タハフレケリト云リ、/k108