十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の62 天治二年八月十日あまりのころ伏見斎宮野宮におはしましけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 天治二年八月十日あまりのころ、伏見斎宮((守子内親王))、野宮におはしましけるに、「群行も近く成ぬ」とて、中御門右大臣((源雅定))・花園内大臣((源有仁))など、さるべき人々、にはかに参会したりける。 夜更くるほどに、月のくまなきを見捨てがたくて、おのおの出でもやられぬ折節、女房、箏を爪音(つまおと)やさしくかき合せて、御裳濯川(みもすそがは)の御出立もむげに近くなりぬ。伊勢まで、誰か思ひおこすべき。うち乱れたる御遊びは、今夜こそ」と言ひ出でたれば、「まことにしかるべきこと」とて、右大臣、催馬楽歌ひ、内大臣、琵琶弾きて、御簾の内の箏の音に、調べかはしたるさま、いといひ知らず。 楽ども数を尽しけるほどに、内大臣、「かたき物忌なれば、明けぬさきに」とて、出でられければ、「轅(ながえ)を先にす」と詠じて立たれける。 帰るも、止るも、たがひに名残惜しかりけり。 ===== 翻刻 ===== 六十五天治二年八月十日アマリノ頃、伏見ノ斎宮野々宮ニオハシ マシケルニ、群行モ近ク成ヌトテ、中御門右大臣花園内 大臣ナド、サルヘキ人々俄ニ参会シタリケル、夜フクル程ニ月ノ クマナキヲミステカタクテ、各出モヤラレヌオリフシ、女房 箏ヲツマオトヤサシクカキ合テ、ミモスソ川ノ御出立モ無/k106 下ニ近ク成ヌ、伊勢マテ誰カ思ヲコスヘキ、打乱タル御 遊ハ今夜コソト云出タレハ、マコトニ可然事トテ、右大臣 催馬楽ウタヒ内大臣比巴引テ、御簾ノ内ノ箏ノ音ニ シラヘカハシタルサマ、イトイヒシラス、楽トモ数ヲツクシ ケル程ニ、内大臣カタキ物忌ナレハ、不明サキニトテ出ラ レケレハ、ナカヘヲサキニスト詠シテ立レケル、カヘルモトマ ルモ互ニナコリ惜カリケリ、/k107