十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の59 堀河院の御時同じく行幸あるべき由白河院に申させ給ひければ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 堀河院((堀河天皇))の御時、同じく(([[s_jikkinsho10-58|前話]]参照。))行幸あるべき由、白河院((白河天皇))に申させ給ひければ、「わが時は、土御門右府((源師房))など申す人侍りしかば、扈従をも和歌なとをも書きて、今に人の口にあり。   瑶池周穆之昔 策駿馬而無所休   汾河漢武之秋 携佳人而不能忘 などは、誰(たれ)か書き候ふべき」と云々。天皇、また申させ給ふ旨なし。「左府((藤原俊房))こそは」と、ひとりごたせ給ひける。 この句も同じ序(([[s_jikkinsho10-58|前話]]の師房の詞。))なり。これを大臣((藤原師房))、国成((藤原国成))・左府に見せ合せられける時、「和歌序の体にあらず。詩序に似たり」と申しければ、「われ、詩序を書くべからず。よりて、『和歌の才学を、この時、書かざらむは』と思ひて」とぞ、答へ給ひける。 ===== 翻刻 ===== 堀河院御時、同行幸有ヘキヨシ、白河院ニ申サセ給ケ レハ、我時ハ土御門右府ナト申人侍シカハ、扈従ヲモ和哥 序ナトヲモ書テ、今ニ人ノ口ニアリ、/k100 瑶池周穆之昔、策駿馬而無所休 汾河漢武之秋、携佳人而不能忘 ナトハタレカ書候ヘキト云々、天皇又申サセ給フ旨ナシ、左 府コソハトヒトリコタセ給ケル、此句モ同序也、是ヲオトト 国成左府ニミセ合ラレケル時、和哥序体ニ非ス詩序ニ 似タリト申ケレハ、我詩序ヲ不可書仍和哥才学ヲ 此時カカサラムハト思テトソ答給ケル、/k101