十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の58 白河院御位の時野の行幸といふことありて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 白河院((白河天皇))、御位の時、野の行幸といふことありて、嵯峨野におはしつきて、放鷹楽をすべきを、笛必ず二人あるべきに、大神惟季がほかに、この楽を習ひ伝ふるものなかりけり。 これによりて、井戸次官明宗(あきむね)といふ管絃者を召して、惟季と共に仕るべき由、仰せありければ、襲(かさね)の装束して、楽人に加はりければ、共にいみじき面目なりけり。 今日の宴、いみじきことなりければ、舞人も、ものの上手を選ばれけるに五人、光季((狛光季))・高季((狛高季))・則季((狛則季))・成兼・経遠、今一人足らざりければ、高季が子の、いまだ童にて年十四なるを召して、蔵人所にて、にはかに男になして、加へられけり。時の人、「面目なり」とぞ申しける。 かくめでたきことに、明宗、「させる道のものにもあらぬを、笛によりて召し出だされたる、いみじきこと」と言ひけるほどに、大井川に船楽の時、笛を川の淵に落し入れて、え取らざりければ、竜頭に惟季、笛を吹く、鷁首には笛吹なくて、え楽をせず。人、これを笑ひけり。 いみじき失礼にてぞありける。始の面目、後の不覚、たとへなかりけり。 今度の御会には、土御門右大臣((源師房))、序題を奉られけり。その詞にいはく、   境近都城 故無車馬之煩   路経山野 故有雉兎之遊 とぞ書かれたる。 歌も多く聞えける中に、御製ぞすぐれたりける。   大井川古き流れをたづね来て嵐の山の紅葉(もみぢ)をぞ見る 通俊中納言((藤原通俊))、『後拾遺((後拾遺和歌集))』を撰ばれける時、入れ奉りけり。 ===== 翻刻 ===== 六十二白河院御位ノ時野行幸ト云事有テ、嵯峨野ニオ ハシ付テ、放鷹楽ヲスヘキヲ笛必二人有ヘキニ、大神 惟季カ外ニ、此楽ヲ習伝モノナカリケリ、依之井戸ノ 次官アキムネト云管絃者ヲ召テ、惟季ト共ニ仕ヘキ/k98 ヨシ仰有ケレハ、カサネノ装束シテ楽人ニ加リケレハ、共ニ イミシキ面目ナリケリ、今日ノ宴イミシキ事ナリケレ ハ、舞人モ物ノ上手ヲエラハレケルニ、五人光季高季則 季成兼経遠、今一人タラサリケレハ、高季カ子ノ未童 ニテ年十四ナルヲ召テ、蔵人所ニテ、俄ニ男ニナシテ加 ヘラレケリ、時人面目ナリトソ申ケル、カク目出度事 ニ、アキムネサセル道ノモノニモアラヌヲ、笛ニヨリテ召出サ レタル、イミシキ事ト云ケルホトニ、大井河ニ船楽ノ時、笛 ヲ川ノ渕ニオトシ入テ、エトラサリケレハ、竜頭ニ惟季笛 ヲフク、鷁首ニハ笛吹ナクテエ楽ヲセス、人是ヲワラヒ/k99 ケリ、イミシキ失礼ニテソ有ケル、始ノ面目後ノ不覚、タトヘナカリケリ、今度ノ御会ニハ土御門右大臣序題ヲ奉ラレケリ、其 詞云 境近都城、故無車馬之煩 路経山野、故有雉兎之遊 トソカカレタル、哥モ多ク聞エケル中ニ、御製ソ勝タリケル、 大井川フルキナカレヲタツネキテ、アラシノ山ノモミチヲソミル 通俊中納言後拾遺ヲエラハレケル時入奉リケリ、/k100