十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の56 高倉院の御時御殿の上に鵺の鳴きけるを・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 高倉院((高倉天皇))の御時、御殿の上に、鵼(ぬえ)の鳴きけるを、「悪しごとなり」とて、「いかがすべき」といふことにてありけるを、ある人、頼政((源頼政))に射させらるべき由、申しければ、「さりなん」とて、召されて参りにけり。 この由を仰せらるるに、かしこまりて、宣旨を承りて、心の中に思ひけるは、「昼だにも小さき鳥なれば、得がたきを、五月の空闇深く、雨さへ降りていふはかりなし。われ、すでに弓箭の冥加、尽きにけり」と思ひて、八幡大菩薩を念じ奉りて、声をたづねて矢を放つ。こたふるやうに思えければ、寄りて見るに、あやまたず当りにけり。天気よりはじめて、人々、感歎いふばかりなし。 後徳大寺左大臣((藤原実定))、その時中納言にて、禄をかけられるに、かくなん、   ほととぎす雲居に名をもあぐるかな 頼政とりもあへす   弓張月のいるにまかせて と付けたりける、いみじかりけり。 まかり出でてのちに((底本「罷出うしろに」。「後」の誤読とみて訂正。))、   昔養由雲外射雁   今頼政雨中得鵼 とぞ感ぜられける。 頼政、蟇目(ひきめ)のほかに、征矢(そや)を取り具して持ちたりけるを、のちに人の問ひければ、「もし不覚かきたらば、申し行ひたりける人を射んがためなり」とぞ答へける。 ===== 翻刻 ===== 六十高倉院御時、御殿ノ上ニ鵼ノナキケルヲ、アシ事ナリト テイカカスヘキト云事ニテ有ケルヲ、或人頼政ニイサセラル ヘキヨシ申ケレハ、サリナントテ召レテ参リニケリ、此由ヲ仰 ラルルニ、畏テ宣旨ヲ承テ、心ノ中ニ思ケルハ、ヒルタニモチ ヰサキ鳥ナレハエカタキヲ、五月ノ空ヤミフカク、雨サヘフリ/k95 テ云ハカリナシ、我ステニ弓箭ノ冥加尽ニケリト思テ、 八幡大菩薩ヲ念シ奉テ、声ヲ尋テ矢ヲハナツ、コタフ ル様ニ覚ケレハ、ヨリテ見ニ、アヤマタスアタリニケリ、天 気ヨリハシメテ、人々感歎イフハカリナシ、後徳大寺左大 臣、其時中納言ニテ禄ヲカケラレルニカクナン、 郭公雲井ニ名ヲモアクルカナ 頼政トリモアヘス ユミハリ月ノイルニマカセテ ト付タリケル、イミシカリケリ、罷出ウシロニ、 昔養由雲外射雁、今頼政雨中得鵼/k96 トソ被感ケル、頼政ヒキメノホカニ、征矢ヲトリ具テモ チタリケルヲ、後ニ人ノ問ケレハ、モシ不覚カキタラハ申 行タリケル人ヲヰンカタメナリトソ答ケル、/k97