十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の54 またもとより猛き人の家に生れぬる養由が芸を継ぎ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== また、もとより猛き人の家に生れぬる、養由が芸を継ぎ、李広が跡を伝ふるほか、なにごとをかは学び習はんと思へども、それしも文を兼ね、歌を好むたぐひ、いとといみじくこそ。 清原滋藤は、その身、征夷使軍監の武芸にいたりしかども、文のかた、たくみなりけり。ある時、詩の落句に作れり。   一文一武倶迷道   為我邯鄲歩漸窮 この人は、忠文民部卿((藤原忠文))、将軍の宣旨を蒙りて、将門追討のために、あづまへ下りける時、ともなへりけり。 駿河国清見関につきて、海のはたに宿りたりけるに、   漁舟火影寒焼波   駅路鈴声夜過山 といふ古き詩を詠じたりければ、をりふし心澄みて、将軍涙落しにけり。 この詩は、杜筍鶴が((底本「杜筍鶴と」。諸本により訂正。))臨江駅に宿りて作りけり。旅宿の夜の思ひ、同じ心や通ひけんと、げに心すごし。 ===== 翻刻 ===== シテ、往生ノ素懐ヲトケ給ケルモ、其理不違コソ、又モ トヨリタケキ人ノ家ニ生レヌル養由カ芸ヲツキ李広 カ跡ヲツタフル外、何事ヲカハマナヒナラハント思トモ、ソ/k91 レシモ文ヲ兼哥ヲコノムタクヒ、イトトイミシクコソ、 五十八清原滋藤ハ其身征夷使軍監ノ武芸ニイタリシカ トモ、文ノ方タクミナリケリ、アル時詩ノ落句ニ作レリ、 一文一武倶迷道、為我邯鄲歩漸窮 此人ハ忠文民部卿、将軍ノ宣旨ヲ蒙テ、将門追討 ノタメニ、アツマヘ下ケル時トモナヘリケリ、駿河国浄見 関ニ付テ、海ノハタニ宿タリケルニ、 漁舟火影寒焼波、駅路鈴声夜過山 ト云古キ詩ヲ詠シタリケレハ、オリフシ心スミテ将軍涙 落ニケリ、此詩ハ杜筍鶴ト臨江駅ニ宿テ作リケ/k92 リ、旅宿ノ夜ノ思同心ヤカヨヒケント、ケニ心スコシ、/k93