十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の47 近くは徳大寺の右の大臣うちまかせてはいひ出でがたき女房のもとへ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 近くは徳大寺の右の大臣((藤原公能))、うちまかせてはいひ((底本「なひ」。諸本により訂正。))出でがたき女房のもとへ、「獅子の形(かた)を作りける((底本「つたりける」。諸本により訂正。))茶椀の枕を奉る」とて、薄様のを破りて、この歌を書きて、思ひかけぬはざまに隠し入れたりける。 わびつつはなれだに君にとこなれよかはさぬ夜半の枕なりとも 女房、「この枕はただにはあらじ」とて、とかくしてその歌を求め出されたりける。いみじくいろいろしく色深し。 これら、歌を人して遣はして、心の内をあらはせるたぐひなり。 良暹、大原より伏見修理大夫((橘俊綱))もとへ、もの乞ひにやるとて、詠める歌、   大原山まだすみがまもならはねばわが宿のみぞ煙(けぶり)絶えたる ===== 翻刻 ===== 五十 近ハ徳大寺ノ右ノオトト、ウチマカセテハナヒ出カタキ女房 ノモトヘ獅子ノカタヲツタリケル茶埦ノ枕ヲ奉ル トテ、ウスヤウノヲヤリテ此歌ヲ書テ、思カケヌハサマ ニカクシ入タリケル、 ワヒツツハナレタニ君ニトコナレヨ、カハサヌ夜半ノ枕ナリトモ、 女房此枕ハタタニハアラシトテ、トカクシテ其哥ヲモトメ/k84 出サレタリケル、イミシクイロイロシクイロフカシ、コレラ哥ヲ 人シテツカハシテ、心ノ内ヲアラハセルタクヒナリ、 五十一良暹大原ヨリ伏見修理大夫モトヘ物乞ニヤルトテヨメ ル哥、 大原山マタスミカマモナラハネハ、ワカヤトノミソケフリ絶タル、/k85