十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の40 後撰集にいはく桂の御子の蛍をとらへてと言ひければ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 『後撰集((後撰和歌集))』にいはく、「桂の御子((孚子内親王))の、蛍をとらへて」と言ひければ、童(わらは)の衫(かざみ)の袖に包みて、   つつめども隠れぬものは夏虫の身よりあまれる思ひなりけり と申す。宋玉が隣に住みし女は、これほどまでほのめかすたよりもなくてや、やみにけん。 そもそも、この歌、『大和物語』には、桂の御子の故式部卿((敦慶親王))の御子に住み給ひけるを、かの宮の童女の、男御子((敦慶親王))を思ひかけてのち、御子((敦慶親王))の「蛍とりて」とありけるに、「衫の袖に包みて奉るとて詠める」とあり。 それに、近ごろ俊成卿((藤原俊成))の撰ばれたる、『古来風体抄』といふものには、「桂の御子と申す女御子の、『蛍をとりて』とありければ、童男の『狩衣の袖に包みて奉る』とて詠めるを、男御子と心得て、悪く人のいひなせる」と書かれたり。説々の不同、心得がたし。 中務卿重明親王を桂親王と号す。宇多((宇多天皇))女、五の宮((依子内親王))を鬘内親王と申す。いづれのことにか、たづぬべし。 寂蓮と申す歌詠みのありしが、   思ひあれば袖の蛍を包みてもいはばやものを問ふ人はなし と詠める。この心にや。 ===== 翻刻 ===== 四十二後撰集云、カツラノミコノ蛍ヲトラヘテト云ケレハ、ワラハノ カサミノ袖ニツツミテ、 ツツメトモカクレヌモノハ夏虫ノ、身ヨリアマレル思ヒナリケリ ト申、宋玉カ隣ニスミシ女ハ、コレホトマテホノメカスタヨリ/k78 モナクテヤヤミニケン、 抑此哥大和物語ニハ、カツラノ御子ノ故式部卿ノ御子ニス ミ給ケルヲ、彼宮ノ童女ノ、オトコミコヲ思カケテ後、ミコ ノ蛍トリテト有ケルニ、カサミノ袖ニツツミテ奉ルトテヨ メルトアリ、ソレニ近此俊成卿ノエラハレタル古来風体抄ト 云物ニハ、カツラノミコト申女御子ノ蛍ヲトリテト有ケレハ、 童男ノカリキヌノ袖ニツツミテ奉ルトテヨメルヲ、オトコ ミコト心得テ、アシク人ノ云ナセルトカカレタリ、説々ノ不同 心得カタシ、中務卿重明親王ヲ桂親王ト号ス、宇多女 五ノ宮ヲ鬘内親王ト申ス、イツレノ事ニカ、タツヌヘシ、/k79 四十三寂蓮ト申哥ヨミノアリシカ、 思ヒアレハ袖ノ蛍ヲツツミテモ、イハハヤ物ヲトフ人ハナシ トヨメル此心ニヤ、/k80