十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の36 後鳥羽院の御時定家卿殿上人にておはしける時・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 後鳥羽院の御時、定家卿((藤原定家))、殿上人にておはしける時、いかなることにか、勅勘によりて入りこもられたりけるが、あからさまに思ひけるに、年も空しく暮れにけれは、父俊成三位((藤原俊成))、このことを歎きて、かく詠みて、職事につけたりけり。   あしたづの雲井に迷ふ年暮れて霞をさへやへだてはつべき 職事、この歌を奏聞せられければ、ことに御感ありて、定長朝臣((藤原定長))に仰せて、御返歌あり   あしたづは雲井をさして帰るなり今日大空の晴るるけしきに やがて、殿上の出仕、ゆりにけり。 ===== 翻刻 ===== 卅九後鳥羽院御時定家卿殿上人ニテオハシケル時、イカナル事 ニカ勅勘ニヨリテ入コモラレタリケルカ、アカラサマニ思ケ ルニ、年モ空ク暮ニケレハ、父俊成三位此事ヲ歎テ、カ ク読テ職事ニツケタリケリ、 アシタツノ雲井ニ迷フ年クレテ、カスミヲサヘヤヘタテハツヘキ、 職事此哥ヲ奏聞セラレケレハ、殊御感有テ、定長朝 臣ニ仰テ御返哥アリ、 アシタツハ雲井ヲサシテカヘルナリ、ケフ大空ノハルルケシキニ、 ヤカテ殿上ノ出仕ユリニケリ、/k76