十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の35 別当入道惟方卿は二条院の御乳母子にて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 別当入道惟方卿((藤原惟方))は、二条院((二条天皇))の御乳母子にて、世に重く聞こえける が、悪しく振舞ひて、後白河院((後白河法皇))の御いきどほり深かりければ、出家して、配所へおもむかれにけり。 そののち、同じく流されし人々、免されけれども、身一つは、なほ浮びがたきよしを伝へ聞きて、   この瀬にも沈むと聞けは涙川流れしよりも濡るる袖かな と詠みて、ふるさとへ送られたりけるを、法皇、伝へ聞こしめして、御心や弱りけん、さしも重く思しめしたりけるに、この歌によりて召し返されにけり。 ===== 翻刻 ===== 卅八別当入道惟方卿ハ二条院ノ御乳母子ニテ、世ニ重聞エケル カ、アシク振舞テ、後白河院ノ御イキトヲリ深カリケレハ、 出家シテ配所ヘヲモムカレニケリ、其後同流シ人々ユルサレケレ トモ、身一ハナヲウカヒカタキ由ヲツタヘキキテ、 コノセニモシツムトキケハ泪川、ナカレシヨリモヌルル袖カナ トヨミテ、古里ヘヲクラレタリケルヲ、法皇ツタヘ聞食テ、 御心ヤヨハリケン、サシモ重ク思食タリケルニ、此哥ニヨリ テ召返サレニケリ、/k75