十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の33 法性寺関白の御時東北院の領池田の荘の解を・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 法性寺関白((藤原忠通))の御時、東北院の領、池田の荘の解を、朝隆卿((藤原朝隆))執事 の時、取り申されけり。 その状の中に、   非啻軽殿下之御威   兼又成梁上之奸濫 と書きたるを御覧じて、「この解状は、田舎者の草にあらず((底本「草にならす」。諸本により訂正。))。学生・儒者などの書たるにこそ。尋ねよ」と仰せられければ、荘官らに召し尋ねらるるに、しばらくは秘蔵(ひさう)して申さぬを、「殿下、御定なり」とて問ひけれは、「江外記康貞((大江康貞))と申す者に、縁にふれてあつらへて候ふ」と申しけり。 これによりて、康貞を文殿に召し加へられにけり。 これら、文章につけたる面目なり。 ===== 翻刻 ===== 卅三法性寺関白御時、東北院領池田庄解ヲ朝隆卿執事 ノ時取申サレケリ、其状之中ニ、 非啻軽殿下之御威、兼又成梁上之奸濫 ト書タルヲ御覧シテ、此解状ハ井中者草ニナラス、学生 儒者ナトノ書タルニコソ、尋ヨト被仰ケレハ、庄官等ニ被 召尋ニ、暫ハ秘蔵シテ申サヌヲ、殿下御定ナリトテ問 ケレハ、江外記康貞ト申者ニ縁ニフレテ誂ヘテ候ト申/k72 ケリ、依之康貞ヲ文殿ニメシ加ヘラレニケリ、此等文章ニ ツケタル面目也、/k73