十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の30 東三条関白前太政大臣九月十三夜の月にさそはれて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 東三条関白前太政大臣((藤原兼家))、九月十三夜の月にさそはれて、東北院の念仏に参り給ひたりけるに、夜うち更けて、世の中もしづかなるほどに、斉信民部卿((藤原斉信))を召して、「こよひ、ただにはいかがやまむ。朗詠ありなんや」と仰せられければ、いとかしこまりて、しばしわづらふ気色なるを、人々、耳をそばだてて、「いかなる句をか詠ぜんずらむ」と待つほどに、「極楽の尊を念ずること一夜」とうち出だしたりける、たぐひなくめでたかりけり。 この句書きたる斉名((紀斉名))、やがて御供に候ひけり。わが句をしも、さばかりの人の朗詠せられたりける、いかばかり心のうち、すずしかりけん。 この句は、勧学会の時、「摂念山林を賦する序」なり。   念極楽之尊一夜 山月正円((底本「山」なし。諸本により補う。))   先句曲之会三朝 洞花欲落 これは三月十五夜のことなり。九月十三夜に詠ぜられける、いかがと思ゆ。ただし、念仏の義ばかりに取りよれりけるにや。古人の所作、仰ぎて信ずべきか。 ===== 翻刻 ===== 二十九東三条関白前太政大臣九月十三夜ノ月ニサソハレテ、東北院 ノ念仏ニ参給タリケルニ、夜ウチフケテ世中モ閑ナルホト ニ、斉信民部卿ヲ召テ、コヨヒタタニハイカカヤマム、朗詠有ナ/k69 ンヤト被仰ケレハ、イト畏テ暫ワツラフ気色ナルヲ、人々耳 ヲ峙テ、イカナル句ヲカ詠センスラムト待ホトニ、極楽ノ尊ヲ 念スル事一夜ト打出シタリケル、類ヒナク目出タカリケ リ、此句カキタル斉名ヤカテ御共ニ候ケリ、我句ヲシモ、サハカリ ノ人ノ朗詠セラレタリケル、イカハカリ心ノウチススシカリケ ン、此句ハ勧学会ノ時摂念山林ヲ賦スル序ナリ、 念極楽之尊一夜月正円先句曲之会三朝洞花欲落、 是ハ三月十五夜事也、九月十三夜ニ詠セラレケル、イカカ ト思ユ、但念仏ノ儀ハカリニトリヨレリケルニヤ、古人ノ所作 仰可信歟、/k70