十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の25 南都に舞の師字和博士晴遠といふ者ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 南都に舞の師、字(あざな)和博士晴遠((大神晴遠))といふ者ありけり。重代にて、還城楽を舞ひて、君につかうまつりけるほどに、この舞、いまだ人に教へざりける前(さき)に、病つきて失せにけり。土用ごろなりければ、かの棺を柞(ははそ)の森の木に置けりける。 さて、二三日ありて、その前を木こりの過ぎけるに、もののうめく音のしければ、あやしく思ひて、かの葬家に告げければ、妻子・親類行きて見るに、生き返りたりければ、家に具し来て、やうやうに助けあつかひけるほどに、次第に人心地出で来にけり。 語りていはく、「われ、閻魔王の宮に参りて、罪定められし時、一人の冥官申すやう、『日の本の舞の師、晴遠、いまだ還城楽を伝へぬ前に、その身を召されたり。今度、返し遣はして、舞を伝へしめさせて召さるればよろしからん』と申す。その時、おのおの議して、『実にしかるべし。かつは、今度の常楽会の舞、つかまつれ』とて、『返さる』と思ひつるほどに、生き出でたるなり」と語る。 親しき者ども悦(よろこ)びて、「あさましく、あらたなること」と言ひけり。 そののち、この舞を弟子に伝へ給ひて、また失せにけり。弟子をば上府生季高とぞいひける。 この晴遠か先祖の舞人の家に、還城楽の面、あまたありけり。「ふりおもて」と名づけて、重代これを伝へたりけるが、今は南都の宝物にてありと聞こゆ。 かの王宮にも、この道を重くせらるること、ありがたし。 ===== 翻刻 ===== 廿四南都ニ舞ノ師アサナ和博士晴遠ト云者アリケリ、 重代ニテ還城楽ヲ舞テ君ニツカフマツリケルホト ニ、此舞イマタ人ニオシヘサリケル前ニ、病付テ失ニケリ、 土用比ナリケレハ、彼棺ヲハハソノ森ノ木ニヲケリケル、 サテ二三日有テ、其前ヲキコリノスキケルニ、物ノウメク オトノシケレハ、アヤシク思テ、彼葬家ニ告ケレハ、妻子 親類行テ見ニ、イキカヘリタリケレハ、家ニ具シ来テ、 ヤウヤウニ助ケアツカヒケルホトニ、次第ニ人ココチ出キニ ケリ、語云、吾炎魔王ノ宮ニ参テ、罪定ラレシ時、一人 ノ冥官申ヤウ、日ノ本ノ舞ノ師晴遠イマタ還城楽/k63 ヲ伝ヘヌ前ニ其身ヲ召サレタリ、今度返遣シテ舞 ヲ伝ヘシメサセテ被召ハ、ヨロシカラント申ス、其時各儀シ テ、実ニ可然、且ハ今度ノ常楽会ノ舞仕レトテ返サ ルト思ツルホトニ、生出タル也ト語ル、シタシキモノトモ悦テ、 アサマシクアラタナル事ト云ケリ、其後此舞ヲ弟子ニ伝 ヘ給テ又失ニケリ、弟子ヲハ上府生季高トソ云ケル、 此晴遠カ先祖ノ舞人ノ家ニ還城楽ノ面アマタア リケリ、フリオモテト名テ、重代是ヲ伝タリケルカ、今 ハ南都ノ宝物ニテ有トキコユ、彼王宮ニモ此道ヲ重ク セラルル事有カタシ、/k64