十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の19 村上帝月明き夜清涼殿の上の御座にて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 村上帝((村上天皇))、月明き夜、清涼殿の上の御座にて、水牛の角の撥(ばち)にて玄象(げんじやう)を弾きすまして、ただ一所おはしましけるに、影のごとくなるもの、空より飛び参りて、孫廂(まごびさし)に居たりければ、「何者ぞ」と問はせ給ふに、「大唐の琵琶の博士、字(あざな)劉二郎、廉承武に侍る。ただ今、この空を過ぎ侍りつるが、御琵琶の撥音のいみじさに参るところなり。おそらくは、貞敏((藤原貞敏))に授け残しし曲の侍るを、授け奉らん」と申す。 聖主、叡感の気おはしまして、この琵琶をさしつかはし給ひたれば、かき鳴らして、「これは廉承武が琵琶に侍り。貞敏に伝ひ候ひし、秘事の内に侍り」と申しけり。よもすがら御話談ありて、上玄・石上の曲を授け奉りけり。 そもそも西宮左大臣((源高明))、月の夜、琵琶を弾き給ひけるに、廉承武が霊来て、小女に憑きて、秘曲を授くる由、申し伝へたり。かの霊、再び来れるか。おぼつかなし。 定頼中納言((藤原定頼))、法花経を読みすまして、一人居たる所に、陽勝仙人の来れることに似たり。 ===== 翻刻 ===== 十八邑上帝月アカキ夜清涼殿ノ上ノ御座ニテ、水牛ノ角ノ 撥ニテ玄象ヲ引スマシテ、只一所オハシマシケルニ、影ノ如 クナルモノ、空ヨリトヒ参テ孫廂ニヰタリケレハ、ナニモノ ソト問セ給ニ、大唐ノ琵琶ノ博士アサナ劉二郎廉 承武ニ侍、只今此空ヲスキ侍ツルカ、御比巴ノ撥音ノイ ミシサニ参ル所也、恐クハ貞敏ニサツケノコシシ曲ノ侍ヲ 授奉ラント申、聖主叡感ノ気オハシマシテ、此比巴ヲ指 遣ハシタマヒタレハ、カキナラシテ、是ハ廉承武カ比巴ニ侍、 貞敏ニツタヒ候シ秘事ノ内ニ侍ト申ケリ、終夜御/k56 話談アリテ、上玄石上ノ曲ヲ授ケ奉リケリ、抑西宮 左大臣月ノ夜比巴ヲ引給ケルニ、廉承武カ霊来テ、 小女ニ付テ秘曲ヲ授ル由申伝ヘタリ、彼灵フタタヒ来 レルカオホツカナシ、定頼中納言法花経ヲヨミスマシテ 独居タル所ニ、陽勝仙人ノ来レル事ニ似タリ、/k57