十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の17 成通卿郢曲にすぐれ給へりけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 成通卿((藤原成通))、郢曲にすぐれ給へりけり。 乳母の、おこり心地をなん久しくしてわづらひて、さるべき験者ども、おとしかねたりけるに、この人、とぶらひにおはしたりけるを見て、「君だにも、今様あそばさば、おち候ひなん」と申しけるに、「やすきことにこそ。ただし、おちずは、人、をこがましかりなむ」といさめ給ひけれども、「年高く侍る身なれば、もしかくて死に候ふとも、後世のうたへにも侍らむ」と申しければ、「さほどならば」とて、   薬師十二の誓願は 衆病悉除ぞたのもしき   一経其耳はさておきつ 皆令満足うたかはず と、七返ばかり歌ひ給ひたりければ、乳母、涙を流して、「かくめでたき人を、われ養ひ奉りけるも、しかるべき縁にこそ」と思ひて、さめざめと泣きけるほどに、おこり時過ぎて、おちにけり。 これは和歌にあらねども、ことがら同じきによりて、書き加ふるなり。 ===== 翻刻 ===== 十七成通卿郢曲ニ勝レ給ヘリケリ、メノトノオコリ心チヲナン 久シテワツラヒテ、サルヘキ験者トモ、オトシカネタリケルニ、此 人訪ニオハシタリケルヲミテ、君タニモ今様アソハサハ、オ チ候ナント申ケルニ、ヤスキ事ニコソ、但オチスハ人オコカ マシカリナムトイサメ給ケレトモ、年高ク侍ル身ナレハ、モ シカクテ死候トモ、後世ノウタヘニモ侍ラムト申ケレハ、サホ トナラハトテ、 薬師十二ノ誓願ハ、衆病悉除ソタノモシキ、 一経其耳ハサテヲキツ、皆令満足ウタカハス、/k54 ト、七返斗ウタヒ給タリケレハ、乳母涙ヲ流シテカク、メテ タキ人ヲ我ヤシナヒ奉リケルモ、シカルヘキ縁ニコソト思 テ、サメサメトナキケルホトニ、オコリ時スキテオチニケリ、 コレハ和歌ニアラネトモ、事カラ同キニヨリテ書加ル也、/k55