十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の16 鳥羽法皇の女房小大進といふ歌詠みありけるが・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 鳥羽法皇((鳥羽天皇))の女房、小大進といふ歌詠みありけるが、待賢門院((藤原璋子))の御衣一重、失せたりけるを負ひて、北野に籠(こも)り祭文書きて、まもられけるに、三日といふに、神水をうちこぼしたりければ、まもり検非違使、「これに過ぎたる失やあるべき。出で給へ」と申しけるを、小大進、泣く泣く申すやう、「公(おほやけ)の中の私と申すはこれなり。今 三日の暇をたべ。それに験(しるし)なくは、我を具し出で給へ。恨みあるまじ」と。見目・形(かたち)足らひ、愛敬づきたる女房の、うち泣きて申しければ、検非違使もあはれに思ひて、延べたりけるほどに、小大進、   思ひ出づやなき名立つ身は憂かりきと現人神(あらひとがみ)になりし昔を と詠みて、紅の薄様一重に書きて、御宝殿に押したりける夜、鳥羽法皇の御夢に御覧ずるやう、世に気高く、やむごとなき翁の、束帯にて、御枕に立ちて、「やや」とおどろかし参らせて、「われは、北野の右近馬場の神にて侍り。めでたきことの侍る。御使給はりて、見せ候はん」と申し給ふと思しめして、うちおどろかせ給ひて、「天神の見させ給ひつる。いかなる御事のあるぞ」と、「見て参れ」とて、「鳥羽の御馬屋(まや)の御馬に、北面の者を乗せて馳せよ」と仰せられければ、馳せて参りて見るに、小大進は雨しづくと泣きて候ひけり。 御前に紅の薄様に書きたる歌を見て、これを取りて参るほどに、いまだ参り着かぬ先に、鳥羽殿南殿の前に、かの失せたる御衣をかづきて、前(さき)をば法師舞ひ、後(しり)をば、敷島とて、待賢門院の雑仕(ざふし)なりけるが、かづきて、獅子に舞ひて参りたりけるこそ、天神のあらたに歌にめでさせ給ひたりけると、めでたく侍れ。 すなはち、小大進をば召しけれども、「かかるもんかう((諸注釈「問拷」と解す。))を負ふことは、心悪き者に思しめさるるやうのあればこそ」とて、やがて仁和寺なる所に籠り居にけり。 「力をも入れずして、天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はす」と、『古今集((古今和歌集))』の序に書かれたるは、これらのたぐひなり。 かやうのこと、あまたあれども、さのみはなれば、耳近きばかりを記す。 ===== 翻刻 ===== 十六鳥羽法皇ノ女房小大進トイフ哥ヨミ有ケルカ、待賢門 院ノ御衣一重失タリケルヲオヒテ、北野ニコモリ祭文書 テマモラレケルニ、三日ト云ニ神水ヲウチコホシタリケレハ、マ モリ検非違使是ニスキタル失ヤ有ヘキ出給ヘト申ケ ルヲ、小大進ナクナク申様オホヤケノ中ノ私ト申ハ是也、今 三日ノ暇ヲタヘ、ソレニシルシナクハ、我ヲクシ出給ヘ恨アル マシト、ミメカタチタラヒ愛敬ツキタル女房ノ、ウチナキテ/k51 申ケレハ、検非違使モ哀ニ思テノヘタリケルホトニ、小大進 思イツヤナキ名タツ身ハウカリキト、アラ人神ニナリシ昔ヲ トヨミテ、紅ノウスヤウ一重ニ書テ、御宝殿ニオシタリケル 夜、鳥羽法皇ノ御夢ニ御覧スルヤウ、ヨニケタカクヤムコトナ キ翁ノ、束帯ニテ御枕ニ立テ、ヤヤト驚シマイラセテ、我ハ 北野ノ右近馬場ノ神ニテ侍、目出事ノ侍ル、御使給 テミセ候ハント申給ト思食テ打驚セ給ヒテ、天神ノ見 サセ給ツル、イカナル御事ノ有ソトミテマイレトテ、鳥羽ノ 御マヤノ御馬ニ、北面ノモノヲ乗テハセヨト被仰ケレハ馳テ 参テ見ニ、小大進ハアメシツクトナキテ候ヒケリ、御前ニ紅/k52 ノ薄様ニ書タル哥ヲミテ、是ヲ取テ参ルホトニ、イマタ参 ツカヌサキニ、鳥羽殿南殿ノ前ニ、彼失タル御衣ヲカツキ テサキヲハ法師マヒシリヲハシキシマトテ、待賢門院ノサウ シナリケルカ、カツキテ師子ニマイテ参タリケルコソ、天神 ノアラタニ哥ニメテサセ給タリケルト目出侍レ、即小大進 ヲハ召ケレトモ、カカルモンカウヲオフ事ハ、心ワロキモノ ニ思食ルルヤウノアレハコソトテ、ヤカテ仁和寺ナル所ニ籠 居ニケリ、チカラヲモ不入シテ天地ヲウコカシ、目ニ見エヌ 鬼神ヲモ哀ト思ハスト、古今集ノ序ニカカレタルハ、是等ノ 類也、カヤウノ事アマタアレトモ、サノミハナレハ耳近キハ/k53 カリヲシルス、/k54